その資料館は「えげつない」ものだった。
何て言うか･･････僕たち日本人には根本的に理解できない場所だった。
そりゃ、学習していないわけでも無かったし、それにかかわる傾向について書かれた短編やドキュメントも目を通した記憶がある。でも、それはあくまでも文章によるもので、実際というものにに触れたわけでも無かったんだ。
いままでいろいろな国の人々と接してきたけど、じっさい異文化ってものには慣れっこになっていると「思い込んで」いたのを、ここでむざむざと思い知らされることになった。本当のところでの異文化との遭遇ってのは、こういうものをいうのかも知れない。これから話すことは、できれば読み飛ばして欲しい。
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要するにドイツ医学界数百年の歴史を標本と解剖技術、代表的な疾患例を実際の標本や「作品」によって展示説明する場所だった。
最古の人体標本とか、いわくのあるホルマリン漬け、スケッチ、果ては国家社会主義時代のゲットーで作られた人体パズルとか、スチール写真。
よくもまぁ、これだけの標本を集めたものだと感心する……うっぷ、まるで屠殺場にいるみたいで……胃がムカムカして、頭の血の気が一気に下がっていくのを感じた。
しかし、嘔吐するのだけはかろうじて押さえる事ができた。本当に、こんな所は苦手なんだ。
そう、未消化のソーセージとジャガイモが、僕の胃の中で喘いでいるのがわかるくらいだ。
さっき空港で、アスカが僕に戒めた言葉の意味がようやく理解できた。
そうしているうちに、この展示物の年代がかなり現在に近づいて来たのに気づいた。
「最新の標本技術」……人体の水分を特殊な樹脂に置換して、新鮮標本状態を保つ技術。傍らには、その成果が展示してあった。
まるでたった今、腹腔を開いた状態でそのまま置かれた様な……でも、やっぱりまだミイラみたいに組織が萎縮してるところがあるし、それにプラスチッキーなイメージは拭いきれてなかった。
慣れれば……冷静に努めれば、人体の神秘を充分堪能できるけど……油断するとすぐに吐き気がこみ上げてきて、この場から逃げ出したくなる。
けれど、ガマンした。
「チルドレン、ここよ」
見ると、アスカは一つのパーティションの前で立ち止まっている。
そこは、副展示室と言った感じで、プレートには「インパクト時の記録」とあった。
その部屋に入るには、またもや認証を取らなければならなかった。
内部は、セカンドインパクト、そしてサードインパクト時に関わる法医学的見地からの資料が展示してあった。
「アスカが見せたい、って言っているのは……これの事だろうか」
つい独り言をつぶやいてしまった。
セカンドインパクトとサードインパクトの大きな違いは、ともに大量の犠牲者を出したのは共通しているが、前者が物理的なクライシス、後者が精神環境上のクライシスであった、と言ったところだろうか。
展示はセカンドインパクトによる犠牲者の外傷的見地からの標本、サードインパクトにより萎縮したり病変した脳髄の標本……そして、病理学的立場からの解説。
サードインパクトの犠牲者の中には、直接脳髄を破壊された者もいたらしい。
これは……僕も知らない事実だった。
展示ケース沿いに見ていく。
そして、その最後にあったものは。
……気が付くと、僕は床に四つんばいになり、嘔吐していた。
頭の血が全て消え失せ、全てがぐらぐらと激しく揺れていた。
動悸が体全体にドグドクと押し寄せ、猛烈な不安感に襲われる。
胃がキリキリと猛烈に痛い。
「ち、ちょっとチルドレン！ 大丈夫？」
アスカは、そんな僕の背中を強くさすってくれながら、バッグから使い捨ての緊急用携帯注射チューブを取り出し、鎮静剤を腕に注射してくれた。
「バカね。だから食べ過ぎちゃダメ、って言ったじゃん……」
そういや、アスカは医学の博士号も持っていたんだっけ……もうろうとした意識の中でそんな事を考えた。
なぜ、そんなに動転してしまったかって？
当然だ。
なぜなら、そこにあったものはアスカの標本だったからだ……・。
アスカが注してくれた注射のおかけで、僕はなんとか落ち着いてきた。
改めてその標本をしっかりと確認した。
それはまぎれもなくたった今、僕の目の前にいるアスカそのものだった。
標本のプレートには、はっきりとドイツ表記で「人体型決戦兵器エヴァンゲリオン セカンドパイロット 惣流・アスカ・ラングレー」と記してあった。
その標本は、さっき見た人体の水分を特殊な樹脂に置換する技術の発展型によって作られていた。
違うのは、人間の細胞膜を破壊しない様に工夫された、保湿性のある改良型の樹脂が使われている事で、その為、アスカの体はたった今、目の前で解剖されたかの様な新鮮さを保っていた。
それに、アスカの体は下肢も含めバラバラの状態で展示用のステージに、まるで見せ物の様に陳列してあった……頭部に至っては、半分が醜く焼け焦げていた。
「……チルドレン。信じられないかも知れないけど、これが真実よ。わたしは惣流・アスカ・ラングレー。そして、この……肉片の固まりもわたし。惣流・アスカ・ラングレーの成れの果て。もう一人のわたしよ」
アスカが……静かに、本当に静かな調子で言った。
「本当に、これは君なのかい？ だって、それじゃ君は一体？ 訳が判らない」
実際、目の前でピンピンしているアスカなのに、こんな標本になっているなんて、矛盾しているし信じられない。
「いや。これは間違いに決まってる。それとも、この標本が本当はただの模型なのか、どっちかだと思う。だいいち、君の髪は金色なのに、この標本の髪は茶色だ。その事自体、おかしいじゃないか」
そう。確かに冷静に眺めてみれば、アスカにそっくりの生首の髪の色は茶髪で、アスカの髪の色とは違っていた。僕はその事に少なからずほっとした。
「チルドレン。わたしの目を見て。確かに、この標本がわたしである、って科学的な証拠は全て隠滅してあるわ。この死体の遺伝子情報すらも、頭髪一本一本に至るまで、巧妙に破壊してあるわ。でも、わたしがそう言ってるのよ。信じる？ それとも……あくまでも否定する？ 少なくとも、わたしはあなたに対して、重要な事柄について嘘や偽りを言った事はないつもりよ」
アスカの言っている事は真実だった。
日常の些細でつまらない、むしろ生活のスパイスになる程度の嘘なら互いに寛大になって見過ごすとしても、大切な事や互いに必要な情報については、僕もアスカも嘘は付かないように誓い、取り決めている。
それに、アスカの瞳は今、冷徹な真実を告げる科学者としての目だった。
って事は……。
もう、僕の希望的な思いこみにも限界が見え始めていた。
「う、嘘だろ。なんでこんな事が……」
どうやら、確かにこの遺体はアスカそのものの様だった。
スイートの一室で、教祖レイが言っていた事とは、この事だったのか……。
すると、あまりにも醜悪に、悪意すら感じ取れてしまう、その遺体の展示方法に、僕は少なからず憤りを感じ始めた。
「なんで、なんでこんな惨い事を……わざわざ標本にして晒す事なんてないじゃないか」
「仕方ないわ。なんたってわたしはディストラクションチルドレン……サードインパクト当事者の一人なんですものね。いわば、この死体は歴史そのものってトコかしら。標本好きのドイツ医学界がこれを展示しないで何を展示するのよ」
あまりにも事無げなアスカの口調に、僕はあっけに取られながらも、アスカに僕をここに連れてきた理由を尋ねずには居られなかった。
「わかった。これがアスカ、君自身だって言うのはよく判ったよ。でも、君は僕にこの遺体を見せてどうするつもりなんだい？」
「ないわ。ただ、わたしはあなたにコレを見て欲しかっただけ。これからあなたがどう行動するかについては、ワタシは干渉しない。もう金輪際、わたしの顔を見たくなくなってもそれは仕方ないわ。だって、このもう一人のわたし自身は、軍隊相手に数百人をコロしたんだし……」
アスカは、あくまでも冷静な口調で、表向きは軽く腕を組み、僕の目をじっと見つめて……それでいながら心の奥底には多分……相当な感情の高ぶりを隠しているんだろう、たぶん。でも、そんなアスカは、なぜだかとても美しかった。
そうしているうちに、アスカが……僕の視界がなんだかぼやけてきた。
目頭が熱くなってきて。そう、僕は泣いてしまったんだ。
いい大人のクセして。
「……ち、ちょっとチルドレン。泣いてるの？」
アスカがあわてて僕のそばに寄ってきたけど、僕はそれを制した。
やっぱり、いくら状況がこの状況でも、女の子に涙を見せるなんて恥ずかしい事だと思う。あわてて涙を拭うと、極力平静を保った。
「い、いや。そんな事はないよ。ちょっと、薬の効き過ぎかな、うん。でも、一体誰がこんなものを作って、ここに展示したんだい？ なんなら、例の生資権をうまく使って、こんな展示は止めさせた方が良くはないかい？」
「それはできないわ」
「どうして？ そんなにこの標本は貴重なんだろうか？ でも、こんなものがここにある限り、いつか君が本当のセカンドチルドレンだって事がバレで、厄介な事に……」
「その点は大丈夫よ。かえってこんなものがあるおかげで、カムフラージュになるってコトよね。だから……この標本はわたしが作って、展示させているの」
「ええっ！？」
僕はアスカの取った行動に驚いてしまった。
どこの世界に、自分の遺体を自ら標本にする人間がいるだろうか？
いや、そもそも自分で自分の死体を扱うなんて、それじゃ三流ホラー映画だ。
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