僕とアスカは大学を後にすると、そのままとんぼ返りで日本に戻ってきた。
日本は土砂降りの雨だった。
部屋に戻って、僕はまたあの標本の事を思い出して、濡れてしまった体を拭く暇もなく、トイレに駆け込んだ。
飛行機の中ではまだ鎮静剤が効いてたし、その効き目が消えそうになると乗り物酔い止めをむさぼって、なんとか誤魔化してきたけど、家に着いたんだから誰はばかる事はない。
げっそりして居間に戻ると、アスカが心配そうにしてくれた。
「大丈夫？ チルドレンには嫌なものを見せてしまったけど、あれはどうしても見せたかったものなの。あれで、わたしの事キライになっちゃったんなら、仕方ないよね。でも、気分が良くなるまではわたし、そばで診ててあげるから……」
「ああ……ありがとう。でも、出すもの全部出したら落ち着いてきたよ。だけどさ、僕は君のパートナーなんだぜ。一度君の背負っているものを受け入れると言った以上、責任は持つ」
なんだか、雨が降ってきたとたんに少し、寒くなってきたみたいだ。
僕は、自分の毛布にくるまると、カーペットの上で横になった。
アスカは、そんな僕のそばに来ると、僕の頭のすぐ横に座った。
「ありがとう。わたしね……良かった。今から……サードインパクト当時のわたしの覚えているコトを、洗いざらい話すから聞いて。なるべく、気分の悪くなる様な話し方はしないから……」
アスカが話してくれた内容はこうだった。
まず、アスカの生まれと生い立ち、父との生別、母の自殺。
エヴァンゲリオンのパイロットとしての適正。
アメリカでの訓練、そして実戦配備……来日。
セカンドインパクトの後、サードインパクト前の数ヶ月……アスカは、シンジやレイと共に、新東京に飛来した一連の「使徒」を相手に戦い、勝利を収めてきた。
しかし、レイも言っていた事だが、ある事がきっかけで搭乗が不可能になり、極度のノイローゼに陥ってしまった。衰弱、入院……。
「わたしは独りぼっちで、もう死んでしまおう……そこまで一時は思い詰めたわ。だけど、本当はわたし、まだ死にたくない、それに……わたしのいつもそばに、ママの意志がいてくれた事に突然、気づいたの。そして、復活するとＮＥＲＶに攻め込んできた軍隊相手に戦ったわ。そして……この手を血で汚してしまったのよ」
「でも、そのＮＥＲＶって、使徒みたいな怪物を相手に戦う軍隊みたいなものだろ？ 軍隊が軍隊相手に戦うのは当然の事だと思う……それに、やらなければ君がやられていた」
「ええ」
「アスカがもしやらなくても、僕にもしも、それだけの力があったら、僕も手を下していたと思うよ……気にするなよ」
「……うん」
ところが、復活し軍隊を掃討したアスカの元に、新型量産タイプのＥＶＡが数体、投入されてしまった。
投入したのは……ゼーレだった。
「わたしは、その後、意識を失ってしまったの。ただ、夢は見ていた……その夢は、レイとシンジが話してくれた事とほぼ同じだったわ。夢の中で戦っていたのね……そして、夢から覚めたのは林の中だった」
アスカは、気が付くと当時の新東京市の郊外、林の中にいたらしい。側には、シンジとレイもいたらしい。
「そりゃもうビックリしたわよ。だって、目が覚めて、自分の体を見れば素っ裸で、おまけに側にはシンジとレイも一緒で……あの時、シンジに何もかも見られた屈辱は一生忘れないわ……おまけに、わたしの髪も金髪に変わってしまっていたのよ」
アスカの全裸姿……僕もまだ、見た事はないけど、つい想像してしまった。
僕はちょっと赤くなってしまった。
「はは……。えっ！？ じゃあ、今のアスカの本当の体と、あそこにあったアスカの標本って……別の体なんだ」
僕はレイの話を既に飲み込んでいたので、すぐに事情を理解した。
「うん……そうよチルドレン。察しがいいわね。チルドレンは吐いちゃったから読んでないでしょうけど、あの展示に解説が書いてあって、そこにはね……サードインパクト後、調査団がＮＥＲＶがあったジオフロントに残されてた、破壊された二号機の内部からあの遺体を発見した、と書いてあるのよ。そう。あれはどうも、わたしの体からコピーされたクローンの残骸みたいなの」
「やっぱり。じゃあれは、本当のアスカの死体じゃないんだ」
「……でも、わたしの体だって事は間違いないわ」
「うん……」
「人々はそれを見て、ＥＶＡ弐号機パイロットであるアスカは死んだ、と判断したわ。その時点で、この地上から、憎むべきディストラクションチルドレンの一人は、自業自得で息絶えた……こう歴史に刻まれたのよ」
雨は激しく降り続き……風も出てきたのか、居間に続くベランダに降り込んだ雨は、窓のガラスを激しく叩いていた。
「だけどさ、誰がアスカの複製を作ったんだい」
「……よくわからないの。ただ、わたしのママの残留意識がＥＶＡを使って、してくれた事なんだ、って思ってるし、それで間違いないと思うの。本当は、後でレイに聞いたんだけど、ＮＥＲＶに攻め込んできた軍隊と戦った時のわたしは、既に複製だったらしいの」
となると、アスカはその手を実際に血で汚してもいない事になる。
「じゃ、アスカはその時、どこに居たんだい？」
「地底湖の底よ。わたしの身に危険が迫っている事を知ると、弐号機はわたしをエントリープラグから取り出すと、自ら分裂した強固な羊膜でわたしをくるんで守っていてくれたの」
「羊膜って……それは子宮の様なものかな？」
「そうかもね。ほんとは、後でサイキックの力を使って、助けてくれたレイたちがその様なものにくるまれていた、って教えてもらっただけなんだけどね。その中で衰弱しきっていたわたしは、直接血管に栄養を流し込んでもらって……眠ってたわ。眠りの中でわたしは、レイとシンジと共にゼーレの内部に侵入して……レイがゼーレの弱点を見つけて、わたしがそのためのゼーレの破壊の方法をその場で考えてレイに教えて……その間、わたしたちを排除しようとするゼーレの動きはシンジが食い止めたわ。ちょうどゲームとかのＲＰＧに例えるなら、わたしが魔法使いで、レイが軍師、そしてシンジが剣士と言ったカンジだったわ」
「ふーん……お姫様は？」
「いないわよそんなもの」
ちょっとアスカが怒ってしまった。
「ごめんごめん……それで、ゼーレはやっつけられたわけだけど、その後、どうしたんだい？ 君は全裸で……そのままじゃ、外を歩けないだろうし、おまけに死んだ事になってしまっているし」
「うん。それからがもう、大変だったのよ。それから三人で林道に出るとしばらく歩いて……ちょうど、廃村ギリギリの集落があって、みんな農作業に出かけてたから、そこから洋服を頂戴したわ」
「アスカ……それって泥棒」
「いいでしょもうっ。あの時はそんな事考えてる場合じゃなかったんだから……もちろん、後でお礼のお金と服は送っといたわよ」
「でも、サードインパクト状況下でも農作業に出かけてたなんて凄いね」
「きっと、もう諦めていたんでしょうね……おじいさんにおばあさんばかりだったし。ただ、世俗の情報から切り離されていた場所だったし、ゼーレも人口密集地から狙っていったから、サードインパクトそのものも届かなかったんでしょうね」
「ああ、そうかアスカ。だから君は、今僕たちやってる……林業の研究に立候補したんだね。なるほど、義理堅いところもあったんだ」
「そんなんじゃ……ないわよ。とにかく、話を戻すわよっ」
「うん」
「それからわたしは、密かに隠しておいたお金や身の回りのものをアスカとレイにも分けてあげて、三人とも当面は生き延びる事ができたの」
「アスカらしいね。アスカの所属していたＮＥＲＶとか……住んでいたところとかでなくて？」
「そうよ。だって、ＮＥＲＶだっていつ、どうなるかわからないじゃない。住んでいたアパートだって、しっかり監視システムが付いてたし。それに、預金だっていつ凍結されるか判らないし……あの頃のわたしは、誰も信じられなかったから。大きなトラベルバックの中に着替えとかお金とか、とにかくいろいろと入れて……その当時通っていた中学校の目だたない所に隠しておいたの」
僕はアスカが、少女の頃に置かれた状況を想像して、少し胸が痛んだ。
「昔からアスカは苦労していたんだね。でも、それはいい考えだったと思うよ……だって現に、役に立ったんだものね」
「それから、わたしのやった事はインターネットに流れていた、サードインパクトとそれに近い過去の死亡者名簿の中から、わたしとレイとシンジになるべく容姿や経歴や境遇が似た子供を捜し出す事だった……」
「で、アスカそっくりの子供が？」
「……ええ、まさにわたしそっくりの孤児の死亡記録、しかもドイツ人、行方不明のものを見つけた時には、悪魔みたいと思うでしょうけど、ほっとしたものだったわ」
「うー、確かに道義的には問題あるかも知れないけど。仕方ないよね……それは。それで、レイとシンジは？」
「シンジとレイだけは、どうしてもそっくりに似ている子供がいなかったの。でも、それは杞憂に過ぎなかったわ。レイにはサイキックの能力があった。多少似ていなくても、周囲に納得させるだけの意識操作を行う事ができたの。そして、たまたまレイに似たタイプの子供がいて……彼女の一家は宗教家だったわ」
「あっ。それがもしかしてＮＥＧＥＶＡの始まり？」
「そう。彼女とその一家は、サードインパクトを神からの啓示として、山に登って……そこで絶命した事になっていて……しかも、遺体は動物のせいで損傷が激しくて、彼女の遺体は発見されていなかった。それも幸いしたわ。彼女本人はデップリと太っていて、レイのイメージにはほど遠かったけど、しばらくして現れる事によって、やつれてしまったと言う説明で通ったわ。そして、シンジは山で知り合った身寄りのない、レイを助けた少年として納得されたの」
「……なんだか、また気分が」
「ごめんね。ちょっと酷い話だったけど、そう言う事なの。わたしは、再びドイツに戻って、半分記憶喪失のフリをしながら、ゆっくりとわたしそっくりの少女と入れ替わっていったの……そして、わたしはその少女の経歴通りにドイツ医学界の若き俊才として学問を修めて……さすがのわたしも死にものぐるいだったわ」
アスカの経歴には博士号が幾つかあるけど、その中でもコンピューターサイエンスと医学のものは代表的なものになっているらしい。
一方はアスカ本来のもの、そしてもう一つは、アスカが身代わりになった少女の経歴に依っているのか……。
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