しばらくの間、対峙が続いた。雪華綺晶は、立っているのか漂っているのかわからない、掴み所のない姿勢でじっ、と真紅を見つめていた。真紅も、戦いへの体勢を取りながら、雪華綺晶の視線をまともに受けないように相手の目線をかわしつつ、気を緩めないようにしていた。
なぜなら、雪華綺晶の目は時として、催眠作用を働くことがある−何とはなしに真紅は直感でそれを知っていたから。
そうしているうちに、ぽつり、と雪華綺晶が口を開いた。
「夢……それは記憶の引き出しを整理している自分の姿を見ること。引き出しの場所や位置、入れられたものによって、その印象は大きく変わる……」
けだるそうでいて、確信的な口調で喋り始めた。
「……」
「今は、その記憶を整理している時間。キラキラ、ピュンピュン、飛び回っている……飛び回っているこの光たちは記憶の欠片……吹く風は意識の導きによる不思議な風……面白いわね、お姉様」
「そのようね。だけど、貴女のように不躾に人の記憶の中に入り込んだり、ましてや悪さまでしたりするのは、ちょっとやり過ぎというものじゃないかしら。ここは翠星石の世界よ。貴女の居るところではない」
雪華綺晶を強く叱咤する真紅。
「わたしは自由な鳥……だからどこに飛んでいっても許される。お姉様にどうこういわれる筋合いではないわ」
「だからといって、何をしても良いというわけではないわ……どうやら、お仕置きが必要なようね」
真紅が挑発した。だが、雪華綺晶はそれを受け流しつつ言った。
「うふふ。それじゃあ、もし一度引き出しの中から取り出された記憶を、デタラメな場所にしまったらどうなるかしら？ 想像してみただけでも楽しいと思わない？」
意地悪く、その美しい唇をゆがめてみせる。
「雪華綺晶。貴女は何をするつもりなの」
「さあ？ それはお姉様が勝手に考えれば良いことだわ」
「そんなこと……わたしがさせない。翠星石の記憶は、わたしが守るわ」
「うまく行くといいわね」
そう言うなり、雪華綺晶は自身のすぐ脇にあった光の珠を摘み取ると、ふわっ、と苦もなく、二人を含んでいた旋風の中から出た。
まさか、本当にそんなことをするとは……真紅は強い憤りを覚えた。
「待ちなさい」
翠星石の記憶はわたしが守る……！ 真紅は固く決意し、戦うことを決めた。
「ローズテイル」
そうささやくと、真紅の手から無数の薔薇の花びらが舞った。
赤い花びらは竜巻のように渦を巻きながら、雪華綺晶を追いかける。
「ふふっ」
それを認めた雪華綺晶は、片眼から薔薇の花をその棘の蔓と共にひょろり、と空間に放った。そして、ローズテイルを打ち砕いた。
打ち砕かれた薔薇の花びらは、ぱぁっ、と記憶の空間に飛び散った。
「あははっ」
それを認めると、雪華綺晶は持っていた光の珠を手放し、別の風、流れに載せた。
「くっ」
真紅はあわてて雪華綺晶を追おうと、今自分がいる旋風の中から躍り出た。
「あっ」
途端、真紅の身体が重力の力を感じ、下めがけて落下を始めた。
それを認めた雪華綺晶は嬉しそうだった。
「ふふっ」
とっさに真紅はローズテイルを少し弱めに、空間に拡散するように放射した。
「ホーリエ！」
すっ、と従ったホーリエの助けを得て、風にひらひらと舞っている赤い花びらの一つに乗り、とん、とんとリズム良くそれらを踏み台にして、雪華綺晶がいたずらした光の珠に追いつこうとした。
無数の光の珠が交錯する中、道先案内はスイドリームが受け持った。
じきに追いつく。掴む。
そしてスイドリームの案内で、元の流れに戻す。
「あはは。うふふ」
そんな真紅の様子を楽しそうに眺めていた雪華綺晶は、手近の光の珠−記憶の欠片を捕まえると、別の風に乗せ始めた。
次から次へと、まるで遊んでいるかのように光の珠をもてあそぶ雪華綺晶。
「お止めなさい！ 雪華綺晶。貴女は何をしているかわかっているの！」
そんな真紅の叫びを無視して、雪華綺晶は暴挙の限り……といっても、彼女にとってはただの遊び、を止めようとはしなかった。
「くっ」
真紅はできる限り、光の珠を追いかけ、元に戻した。それは足がかりである薔薇の花びらを追いかけて踏み越え続ける懸命な追跡、そしてダンス。
皮肉にも、真紅のその姿は何よりも美しく、典麗であった。
……しかし、いくらスイドリームとホーリエの助けがあっても、それにも限度があった。
そうしているうちにタイムリミットが訪れた。
翠星石のレム睡眠が終わりを告げたのだ。
あれだけ激しかった突風たちは収まり、光の珠も全て引き出しに収まり、空間は元の大広間に復元した。
雪華綺晶の姿もどこかへと消えてしまっていた。
「わたしは……とんでもないことを……」
深い絶望と後悔が真紅を襲った。
わたしのしたことが、あの娘を呼び寄せてしまった。
記憶の配列を滅茶苦茶にされた者がどうなるか。
それは想像がつく。良くて記憶喪失、もしかすると、廃人。
ただ、放っておけば翠星石と蒼星石の仲は元に戻った公算が強かったのに。
「ああ」
強いめまいを覚えると、その場に崩れ落ちる真紅。
と、気がつくと穏やかな平原に戻っている自分がいた。
心配そうに周囲をホーリエ、そしてスイドリームが飛び交っている。スイドリームも、ホーリエも申し訳なさそうだった。
「帰りましょう。とにかく。翠星石のことは……わたしがこの命尽きるまで面倒を見るわ」
静かに、しかし強い意志と共にそうつぶやくと、真紅は現の世界に戻った。
ローザミィスティカを外して、パジャマ姿に戻る。
そしてすぐ、翠星石の様子を見に行こうと思った。が、できなかった。怖かった。途方もなく怖かった。
「ドールの時はこんなことはなかったのに」
真紅は、ただじっ、と運命の朝をまんじりともせず、ベッドの上で縮こまりながら待つしかなかった。
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