それから真紅は、間を開けて数回、鏡から翠星石の夢の世界であろう世界を深夜に訪れた。だが、依然として手がかりはなかった。
意気消沈して眠りにつくと、目覚めるのはその日の昼過ぎである。
しばらくベッドの上で横座りになり、芯の定まらない頭を落ち着けてから、ベッドを降りるとシャツとパンツ、つまりズボンをはき、セーターを着込む。
そして午後のお茶の時間のテーブルに付く。
「真紅、やっとお目覚めですか」
水銀燈やめぐを始め、みんなが集まる中、翠星石がジャムをテーブルに運びながら声をかけてきた。
「ええ」
答える真紅に、困ったものですねぇ、と軽く肩をすくめる。が、その所為は悪意を含んでおらず、むしろ家族に対する親愛を込めたものであった。
この点において、真紅は疑問を感じていた。自分の夢の世界にわたしが現れているのなら、それに翠星石は気づくはず。でも、どう見てもその様子はない。ということは、わたしは間違ったことをしている？
少し考え込んでしまう。もしそうなら、今までやったことは全くのムダ。さりとて、それに代わる方法があるわけでもないし……。
「はい、真紅。うにゅー、あげる」
そんな真紅の煩悶を断ち切ったのは、いつの間にか横に来ていた雛苺の差し出したうにゅー、つまり苺大福だった。
桃色の大福の頭に「苺」と漢字のシールが貼ってある。わかりやすい苺大福だ。
雛苺は、椅子の上にしゃがんで乗って真紅と目の高さを合わせていた。
「あ、ありがとう。雛苺」
びっくりしつつ、真紅は礼をいうと、その大福を口に運んだ。何しろ、昨夜から何も食べていない。
「あっ」
期待していたのとは違う味。
「すっぱいっ」
美味しかった。でも、予想外のすっぱさに、声を上げてしまった。
「あ、真紅、大丈夫？」
心配そうに雛苺が顔を近づける。
「大丈夫よ。雛苺。おいしかったわ。ありがと。でも、始めて食べたけど、苺大福って、もっと甘ったるいものだと思っていたわ」
礼を言いながら、真紅が初めての味覚に感想を述べた。
「うん。普通のうにゅーはそうだよ。イチゴも甘いし、あんこも甘いよ。だけど、このうにゅーは違うの。わざと、すっぱいイチゴが入れてあるの。わたしもね、初めは変わった味だなぁ、って思っていたけどね、だんだんなれてきて、この酸っぱさがおいしいって思えるようになってきたの」
確かに。甘いばかりでは物足りない。わざと酸味の強い苺を使うことによって、味の広がりと、餡のコクと甘さを引き立てている。
「うにゅー……苺大福も、思ったより奥が深いものね」
真紅が感心して言うと、雛苺が少しもじもじし始めた。
「あら？ どうしたの？」
「あのね、真紅、こんなこというと怒られそうだけど、雛のいいたいの、しゃべっていい？」
何か雛苺は真紅に言いたげであった。
「いいわよ。話してごらんなさい」
真紅は雛苺をうながした。
「ありがと。真紅……わたしにはよく、わからないけど、今、とっても大変なことをしているように思うの。なんとなく思っただけだけど……」
その言葉に真紅は内心驚いた。雛苺が、そんなに自分を気にかけていたなんて。
「あのね、うまくいえないけど、真紅、いま、うにゅーが甘いだけだと思ってた……でしょ？ でもね。うにゅーにも、いろいろあるんだ。だから、つまり、えーと、うーん、いま真紅がなやんでいるのも、別な味があるって、そう思ってみたらいいかなって思ったの」
瞬間、真紅の内部に一つの閃きが走った。思わず、その場で立ち上がる。
「うぁ、ごめんなさい、真紅。わたし、ただ真紅がつらそうにしているのを見てられなくて。エラそうにいって、ごめんなさい」
その様子に驚いた雛苺は目をつぶって、真紅に謝った。
……その頭に、優しく真紅の手が添えられた。
「ふみゅ？」
目を開けると、そこには優しい真紅のまなざしが。
「それだわ。雛苺。わたしは間違っていたわ。一つのことに囚われすぎていた……そう、いつの間にか一つのことしか考えられなくなっていたのだわ。ありがとう。雛苺。あなたも、立派になったわね。それでこそ、もと家来というものだわ」
「えへへ……」
よろこぶ雛苺。でも、すぐにハッ、と気づくと。
「んもぅ。真紅。もう、雛苺は真紅の家来じゃないもん！ 立派なレディなんだからぁ！」と憤慨する。
「あら。確かにそうだったわね。失礼をお詫びするわ。雛苺」
真紅は詫びた。
（そうね。雛苺ももう人間の身体なのだし、試練の中でずいぶん成長したわ。ひょっとすると、ある面、わたしよりも先を行っているところもあるのかも……）
「うん」
雛苺は、にこりと笑った。
そして、次の訪問日。
再びホーリエとスイドリームを伴って、鏡から別の世界へと飛び込んだ。
もう、ここは正確には翠星石の夢の世界ではない。真紅はそう確信していた。
「ならば、まずは手だてを変えないと」
自分自身に言い聞かせるように真紅はつぶやいた。
始めて、緑の草原の上に降り立つ。
よく手入れされた緑の下草が広がる、植物の香りに包まれた平和な場所だった。
水平線が遠い。ところどころに点在する木々。
そよそよとそよ風が心地よく頬を撫でる。
スイドリームも、この環境に懐かしさを覚えたのか、嬉しそうに飛び回っている。
「ふう。それでは」
思い切って、真紅はこの平原の芝生の上に身を横たえた。
そして、すう、と息を吸い込むと、目を閉じ、そのまま意識を一時停止させた。やがて、まどろみ……そしてうたた寝が。
夢を見た。
そこは真紅の耳のすぐ傍。
芝生の細かな葉の中、ごくごく小さい、目では見つけられないようなところに一つの屋敷が建っていた。
その屋敷に吸い込まれるように歩を進める真紅。
入り口の扉は開いていた。
構わず入る。
ロビーを通り抜け、すぐに繋がってる広間にはいると、そこはあきれてしまうほど広大な空間。よく見ると、円形をしたその部屋の壁は、全て引き出しで覆い尽くされていた。大きなものから、細かなものまで……空間の大きさが大きさだけに、引き出しの数も膨大な数だった。
「ここだわ」
ようやく、真紅は目指す場所へとたどり着いたのだ。
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