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翠星石もやってきた ページ5
 翌日のこと。
 朝食を食べ終え、みんなで食休みで、くつろいでいると。
 カランコロン……玄関のベルが鳴った。
「はぁい」
 出てみると、そこには蒼星石が立っていた。
 青ざめ、一睡もできなかった様子で。
「あなた……どうしたの!? とにかく、上がって」
 蒼星石はこくり、とうなずくと、靴を脱いだ。わたしは居間に通した。
 そんな彼女を見るなり、白崎さんが言った。
「おや、やはり来ましたね。予定通り」
「……一体、何があったんだ? 白崎」
 お父様は少し顔を曇らせながら聞いた。
「ええ。簡単なことですよ。昨日現れたあの男も、罪人だった、ということですよ。ぼくの知る範囲では、前世ではかなり高い身分の政治家だったそうです。それも、親からタナボタ式に政治家の地位を得たそうで。それで、かなり弱い人々を苦しめる世の中にしてしまったそうで、相当の冷血人間だった様ですよ。でも、別に彼だけが悪いわけでは無いんですが。長というものはそういったものですからねぇ。まぁ、自業自得、と言えるかもしれませんがね……」
 白崎さんは、なぜか面白そうに答えた。こんなことを言うときの白崎さんの顔は、まるで……そう、悪魔の顔のように見える。
「と、いうことは、もうあの男はこの世にいないと?」
「そんなところですな。後のことは、もうぼくも、あずかり知らないことです」
 人ごとのような、白崎さんの言い方。
 わたしの背筋に、冷たいものが走った。
 やっぱり、ラプラスの「魔」だ。と思った。

 それから、突然、蒼星石はフラリと倒れると、その場に倒れ込み、そのまま動かなくなった。
「大変!」慌てるわたしを尻目に、
「ちょっと、見せて」
 そう言うと、お父様は蒼星石の横にしゃがみ込んだ。
 そして、蒼星石の体をあちこち触ると……。
「白崎。道具を」
「はい」
 白崎さんが、すぐにカバンを持ってきた。
 お父様がカバンを開く。中を覗いてみると、お医者さんの道具がいっぱい。
「お父様?」
「ん? ああ水晶。大丈夫だよ。私は一応、医学の勉強も正規に済ませている。人体の構造を知ることは、優れた人形を作り上げることに欠かせないことだから」
 手慣れた調子で、蒼星石のまぶたをめくったり、脈を見たり、胸をはだけて、聴診器をあてがう。
「大丈夫。ただ疲れて失神しただけだ。よほど、ショックなことがあったんだろう。それに、熱が出ている。休ませよう」
「ほんと、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。塊先生は、医者としても確かな腕ですよ」と白崎さん。
 わたしは、ほっとした。
「だが……残念。うまくすればローゼンドールの秘密を知ることができたかも知れないんだが。生身の人間の体には、興味がない……まぁ、治すことにはやぶさかではないが」
 今度は、お父様が怖いことを。その目はあくまでも冷たく、妖しげな光を。
 だけど、それを見たわたしが少しおびえた様子になると。
「う……ゴホ、ゴホン。すまない。水晶。ついつい、人形師としての性が。まぁ、なんというか……その、つまり、あれだ。もし、蒼星石が人形のままだったら、ちょっとだけ、その秘密をだな、あ、いや、あくまでも純粋な研究のために……えーと。まぁ、とにかく蒼星石はお前同様、この世界では生身の体、ということだよ」
 あわてて、いつものクールさを崩してわたしに弁解する。
 お父様……。わたしは、思わず顔を引きつらせつつ、苦笑いをしてしまった。

 三日三晩。
 本当にその間、蒼星石は客間のベッドで意識を失ったまま、うなされ続けていた。 わたしは、かつてのアリスゲームのことを思い出して、複雑な気持ちになった。
 蒼星石のローザミィスティカを奪ったのは水銀燈。
 だけど、そのきっかけを作ったのは、わたしとお父様。
 とにかく、精一杯、看病するしかなかった。
 初めの夜は、眠れなくて……蒼星石のそばに付きっきり。
 そしたら、夜なべで仕事をしていたお父様が心配そうに。
「水晶。別に命にさしさわりがあるわけではないから、眠ったらどうだい? 一応、栄養剤も点滴も打ったから大丈夫」
「いいの。どうせ眠れないから。この娘、わたしがこうしてしまったようなものだし」
「……私もそうだな」
 お父様は、ぽつりというと、そのまま黙って部屋を出て行った。
 その仕草は、お前の好きにしていいよ、ってことだ。
 さすがに徹夜をかさねると、眠くなってくる。
 あとの二晩は、ほとんどわたしもウトウトしながらだった。
 そして、夜が明け、退屈しのぎに聞いていたラジオ深夜便が終わる頃にハッ、と目が覚めたとき、すでに蒼星石はすやすやと、安らかな寝息を立てていた。
 それから昼も近い頃、蒼星石はやっと目を覚ました。
「こ、ここはどこ? ぼ……僕は? きみは……あっ。薔薇水晶! 僕に何を」
 叫ぶと、起きあがろうとした。でも、まだムリだった。
「記憶を取り戻したようだね。蒼星石」
 気がつくと、後ろにお父様が。それを見た蒼星石は驚いくといった。
「お……お父様!?」
 わたしのお父様はローゼンの遠縁だ。だから、面影がローゼンそっくりなところがある。蒼星石が見まちがえるのもムリはない。
「いや。違う。私はローゼンではない。エンジュ。ローゼンの弟子の一人だ」

 そういうと、今までのいきさつをすべて、お父様は蒼星石に話し始めた。
 ただ、アリスゲームの本質やローザミィスティカ、アリスのことなど、まだ蒼星石が知らなくていいことは、話さなかった。
 聞き終わると、蒼星石はしばらく黙って、空気というか見えないところを見ている、そんな感じになった。
 そのうち、急に何かを思い出し、ポケットを探り出し、紙切れを取り出した。
「……あった。これ、お返します」
 それは、お父様が例の男に渡した小切手だった。
「ふむ。ありがとう。だが、それは元々、君を自由にするためのものだ……そう、それを換金すれば君は一人で充分生きていける。どうして、それをみすみす私に返すのかな」
 お父様はつきはなすように言った。すると、蒼星石はお父様の目をじっと見て。
「これは、僕のお金じゃないからです。あの男のものでもない。あなたのものだ。僕は、これを返しにここに来たんです」
 お父様は無言だった。しばらく、にらみ合う二人。
 そのうち、ふっ、とお父様は表情をやわらげると、その小切手を受け取った。
 あくまでも頑固な蒼星石、に思えた。でも、それが正しい、とわたしも思った。
「で、あの男はどうなったのかね? 君、いや、貴女……蒼星石、こう呼んでもいいかい? 話してくれないか」
 お父様は、急に蒼星石に対して態度を変えた。
 これは、後で聞いたら、改めてローゼンドールに対する敬意を表したのだそうだ。

「はい。あれからあの男は、アジトに戻ると、一億円の小切手を楽しげに眺めていました。すると、急に苦しみ始めて……僕は助けようとしたけど、他のみんなはただ、ぼう、っとみているだけだった。そのうち……急死してしまったんです。最後は……一人で」
 他のみんな?
 仲間がいたのだろうか?
 蒼星石は続けた。
「そして、あのボディガードというか、仲間の男。初めは狼狽していましたけど、じきにニヤリとほくそ笑むと、小切手を男の手から奪うと、どこかへ姿をくらませようとした……んだと思います。外へ出て行った。そしたら、クルマのブレーキ音がして、外に出てみたら、たまたま通りかかったダンプに……」
 蒼星石は顔をしかめた。
 そこに、いつの間にか現れた白崎さんが割って入った。
「そうですか。やはり、彼らもまた、業を精算できなかったようですな。また、次の世界が待っているでしょう。で、例の大男は? 彼は前世では戦争愛好者というか、殺戮者。三度の飯よりも戦争と虐殺、略奪が好きで、国際犯罪者として手配されていた男だったと聞きますが」
「それはもう、酷い有様でした。人間と言うよりも、ただの肉塊となって。しばらく、息はあったようでした。転げ回って苦しんで。でも、もうどうしようもなかった」
 唇をかむ蒼星石。
「やはり。彼に相応しい最後ですなぁ」
 感心するような白崎さん。やっぱり、怖いよ。この人。
「そして、急に風が吹いてきたと思ったら、男の小切手が風に乗って僕の手に。それから、みんなと相談しました。これからどうするか、って。そしたら、やっぱりそれは返した方が良いよ、ってことになりました。それで僕、返しに来たんです」
「みんな、って? あの男に囚われになっていた人達が他にいたってこと?」
「はい」
 お父様の問いかけに、蒼星石はうなずいた。
「みんな、僕みたいに行き所のない子供や、老人ばかりです。それをあの男に拾われて……。いろいろとあちこちの手伝いをさせられたり、補助金や年金を奪われたり。それでも、みんなあの暴力男が怖くて、それで逃げ出せずに……」
 だけど、蒼星石は違う。その気になれば、逃げ出すことはできたはずだ。
「だから、僕も逃げなかった。みんなを置いて、逃げるなんて」
 蒼星石はきっぱりと言った。
 やはり、蒼星石は蒼星石だ、とわたしは、重ねて強く思った。お父様もそう思ったらしく、ぽつり、とつぶやいた。
「流石、ローゼンドール。凜として美しい……」

 それから、いかにあの男が過酷な仕打ちを人々にしていたか、を蒼星石は語った。
 とはいえ、戸惑いがちに……だった。
 あまり、人のことは言いたくないタイプね。
「あの人だって、可哀想な人なんだ。本当はひとりぼっちで、誰も信じられなくて。そう。それはまるで……」
 そこで言葉を飲み込んでしまう蒼星石。
「……」
 お父様も、無言でそれに答えた。そして、話を切り替えた。
「それはそうとして、蒼星石の仲間達は今、どうして?」
 その言葉に、蒼星石はハッ、と気づいたようになり、あわてて飛び起きた。
「帰らなくっちゃ」
「ダメ。まだ体が……」
 わたしは止めた。でも、お父様は。
「いいから。好きにしてあげなさい」
「でも」
「いいから……そう。水晶。これからのことをよく見ておいで」
 そして、蒼星石は苦しそうにしながらもあたふたと、元の場所に戻っていった。

 翌日。
 再び蒼星石は現れた。
 また、疲れ切った姿になって。
「どうしたの? 心配したのよ」
 わたしは駆け寄って、身を案じた。
「ああ……大丈夫だよ。ありがとう」
「お帰り。蒼星石。どうだったかい?」
 お父様が仕事場からひょっこりと顔を出し、問いかけた。
「それが……みんな、もうこんな暮らしはイヤだ、って散り散りバラバラに……誰もいなくなってしまった……新しく、みんなで暮らしていこう、って誓ったのに」

 そのあとのお父様と蒼星石の会話では、こうだった。
 男と、その相棒が倒れた後、みんなで話し合って小切手は返そう、という話になった。そして、このままみんなで力を合わせて弱い者どうし、頑張ってやっていこう、って話になったそうだ。
 それで、蒼星石が小切手を返しに行った直後、仲間割れが起きたらしい。
 急になぜ、あの小切手を返したんだ、と言い出す老人が出てきたり、こんな貧乏暮らしでいっしょにやっていくのは無理だ、と言い出すちょっと年かさの男の子が出てきたり、わたしはこんなところでくすぶっているような女の子じゃない、と言い出す女の子。まとまりが付かなくなっていた、らしい。
 そこへ戻ってきた蒼星石。小切手を返したことで、相当せめられたらしい。
「どうして、みんな、ああも心が変わってしまうんだろう。僕は……わからない」
 蒼星石は、悲しそうに言った。
 そして、けっきょく小切手はどうしても取り戻せない、との蒼星石の言葉に、みんなそれじゃあ、と散り散りバラバラに出て行ってしまったらしい。

 わたしにも、ショックな話だった。
 そんな……ひどい話。それじゃ蒼星石がかわいそうすぎる。
 呆然とするわたしの頭に、お父様のやさしい手が。
「……人間とは、そういうものなんだよ。だからこそ、蒼星石の純粋さと、誠実さが光り輝くんだ。彼女も、ローゼンメイデンだからね。ちょっとショックだったかも知れないけど、みんながみんな、そうではない。大切なのは、蒼星石のような心を持つ人間と知り合えていくことなんだよ」
 そう、わたしに諭すお父様。
「はい」
 わたしは、そう答えるしかなかった。

「白崎。頼みがある」
「はい。何でしょう」
「その小切手は破棄してくれ。その代わり、ちょっと面倒だが、幾ばくかのお金を蒼星石といっしょに囚われになった人々に与えて貰えないか? 少し、探し出すのに骨が折れるだろうが」
 白崎さんは平気な顔で答えた。
「はい。大丈夫ですよ。彼らの居所を調べるくらい朝飯前。わたしはこの世界でも、ある程度、自由がききますから。あの男に囚われになっていた子供達には罪はありません。僕が何とかしましょう。こう見えても、よろず世の中の水先案内人ですからね。まぁ、老人達も、中にはちょっと……と思える人もいるようですが、サービスです。任せておいてください」
 白崎さんは、またふしぎな力を使うのだろう。
 怖いような、凄いような……でも、もう大人の世界の話なんだろう。
 わたしは黙っているしかない。

「さて。最後に一つ問題が残ったね。蒼星石、貴女はどうするのですか」
 お父様の問いに、蒼星石は黙って考え込むと、こういった。
「僕は、一人で生きていきます。自らその存在を断ったものとして、その罪を背負っていかなければならないから。実体を持たなくなった僕が、こうして実体を持たされた、しかも生身の体を与えられたからには、それが定めだと、思っています」
 その言葉には真摯な決意がこもっていたが、お父様はそれをなぜか、無視した。
「そうか。それじゃ、これはどう? ちょうど娘が庭造りに励んでいる。君は、それを手助けする。そして、やがては庭師の仕事も斡旋する。その謝礼で、君もこの家に住めばいい。それなら、自立性も保てるだろう」
「それは、断ります」
「ふむ。弱ったな。娘のよい友達になってくれると思ったんだか」
「友達? 元々、あなた達は敵だ。お父様を偽って偽のアリスゲームを演出して、みんなを騙した。僕は、あなたが本当のお父様だと勘違いして、それで……」
 強い口調で、何事もなかったかのように話すお父様に反応する蒼星石。だけど、途中で言葉を断ち切ると、そのまま出て行こうとした。
「さよなら。今回のことはありがとうございました。もう会うこともないでしょう」
 そう、言い残して。

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