わたしはその足取りに少しの迷いがある、と思った。
「待って！ 蒼星石」
なぜか、自然に体が動いて蒼星石の手前に立ちふさがると、わたしは床に座り、額を床にこすりつけていた。
「ごめんなさい！ あなた達を騙したことは後悔しているわ。だから……許して」
それは、わたしがこの世界にやって来て、水晶として目ざめてから、蒼星石にいちばん、言いたかったこと。
今、言わなかったら永久にその機会を失ってしまう。そう思った。
「え……！？」
驚いた様子の蒼星石。その場に立ち止った。
その時だった。蒼星石が急にフラフラ、と床にうずくまってしまった。
わたしは驚いた。
立ち上がると駆け寄り、抱き上げた。
「蒼星石！」
ふと気がつくと、蒼い光の粒がわたしたちの周囲を回っていた。
これは……確か人工精霊。名前はそう、レンピカ。
その光を眺めていたら、わたしは急に眠くなり、眠りに落ちた。
次の瞬間。
わたしたちは、何もない世界……そう、光も音も感覚も、そして闇すら存在しないとしか、いいようのない奇妙な世界にいた。
だけど、蒼星石がいること、蒼星石そのものは感じ取ることができた。
そして、わたしは、おきまりの言葉をつぶやいた。
「ここは……どこ？」
その問いかけ自体が消えかけてしまいそうに感じたが、静かに蒼星石が答えた。
「君が感じているとおり、何もない世界。それだけ」
「でも、わたしたちはお互いを感じているわ」
「うん。だけど、それもあと少し。このままいたら、僕たちも消えてしまう」
「え！？」
「いいから、話し続けよう。ここでは言葉を交わし合うことが大切だ」
それから、わたしたちはお互いに意味のない会話を交わした。
ともすると、ほんとうに意味が消えてしまいそうになる。
「駄目だ！ 薔薇水晶、君のお父様のことを考えるんだ」
「お父様……塊。いいえ……わたしは薔薇水晶ではなくて、塊水晶……」
じょじょに意識がもうろうとしてきた。
その意識の中に……
ぞっ、とした。
誰かが入り込もうとしていた。
それはわたし……？
違う。
薔薇の眼帯……している。
違う。
薔薇、右。
違う。
いつの間にか、わたしはかつての薔薇水晶の姿になっていた。
体も、人形の体に。
（あなたの体をちょうだい）
心の中にうつろに声が響く。
「あなたは誰？」
わたしの問いかけに、心の声が答える。
（わたしは雪華綺晶）
え……？
その、雪華綺晶はいつの間にかわたしの目の前に立っていた。
右目の薔薇の眼帯……じゃなかった、本当の薔薇が生えている！
薔薇の花はにょき、と目から突きだして……枝が伸びて。
その薔薇の細い枝は、まるで蔓のように、わたしに絡まってきた。
そして、わたしの体の中に入ってくる。
「い、いやあぁぁぁ」
わたしは叫んだ。
「待てっ」
そう叫ぶと蒼星石が、こっちに突進してきた。
手には「庭師の鋏」。
その鋏で、雪華綺晶の枝を、見事な庭師の腕で剪定し始めた。
たちどころに、薔薇の枝はバラバラに。霧になって、消えていく。
薔薇の花も、何もない「空間」に消えていく。
「きゃあぁぁぁ」
抑揚のない、それでいて甲高く大きな声で雪華綺晶が叫んだ。
わたしは自由の身になった。
蒼星石がわたしを気遣う。
「水晶、大丈夫？」
「ええ、大丈夫」
わたしは答えた。
その次の瞬間。
わたしたちの体は、また元の部屋……世界に戻っていた。
……と思う。
元の世界に戻っていて欲しい。
「お父様！ お父様！」
わたしは声を張り上げてお父様を捜した。
「水晶。私はここだ。どうしたんだい？ 落ち着いて。大丈夫だよ」
間違いない、お父様の暖かな感触と匂い。わたしはお父様に抱きしめられていた。
「急に蒼星石と共に倒れたものだから、心配したよ。どうしたんだい？」
「それが、わたしそっくりな何かが。右目に薔薇の生えている娘が……」
それを聞くと、お父様はびくり、と反応した。でも、すぐにいつものお父様に。
「……悪い夢でも見たのかも。とはいっても、ほんの数秒だったけど」
わずか数秒の出来事だったの？ でも、永遠に感じられた。
蒼星石が助けてくれなかったら。
「そ、蒼星石は？」
まだ、床でぐったりしている。近寄って、体を揺さぶる。
「蒼星石、お願い。目を覚まして」
しかし、返事はなかった。
ふと気づくと、わたしの手のひらの中に紙切れが。それには、こう書かれていた。
［「剪定依頼書」 今なら、とびきりの腕の良い庭師があなたの庭を剪定いたします。もちろん、性悪な薔薇の刺からもあなた方を守ります。さあ、今すぐ、サインを！］
これは……。
「ほら。水晶ちゃん。ペンだよ」
気がつくと、白崎さんがそばに立って、ペンを差し出していた。
わたしは、ためらうことなく、床に押さえつけたその紙に、素早くサインをした。
すると、その紙はふっ、と消えて無くなり、後には見事な剪定鋏が残された。
「う〜ん……」
蒼星石。気が付いたわ。
わたしは、蒼星石にお願いした。
「お願い。蒼星石。わたしを……守って」
それを受けて蒼星石は、少し考えたあと。しっかりとした声で答えた。
「……わかった。君には助けて貰った恩がある」
良かったぁ。そうだ。じゃあ、確かめておかないと。
「ありがとう。ところで、蒼星石。あなた何が好き？ 明日の朝ごはん、聞いておかないと」
こうして、蒼星石もわたしたちと共に暮らすこととなった。
おわり
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