「あ、そうそう。巴、あれを持ってきて」
「はい」
にわかに思いついたようなジュンにうながされて、巴さんが立ち上がると家の奥に消えた。そして、じきに白い箱を持って戻ってきた。
それは、一抱えくらいある、薄い紙箱だった。
「はい、あなた」
ジュンに手渡す。
「ありがと。さぁ、蒼星石、これを返すよ」
ジュンは箱を開け、中身を取り出した。
「え？」
それは、蒼星石のドール時代の衣装だった。
「やっと取り戻したよ。サイズは、今の蒼星石に合わせてある。そして、もしまたドールに戻るようなときは、自然に大きさも変わるように細工をしておいた」
受け取った蒼星石は大喜びだった。
「うわぁ。いいんですか？ この服、あの男に取り上げられてしまって、行方不明になっていたんです」
蒼星石がこの世界にやってきて、悪い男に騙されたときに蒼の衣装は取り上げられてしまったと聞いていた。
それがいま、ここに戻ってきたわけだ。
改めて、蒼星石とわたしは蒼星石の衣装を手にとって眺めた。
それはていねいに修復され、ついさっき縫い上がったようだった。
「改めて、やっぱり凄いなぁ……この縫い目とフリル。ほら、縫い目だけど、針の運びが全てまったく同じ縫い幅で、しかも全部布の織り目を通していて、生地を一切傷つけていないんだ。しかも、その前に糸を使わない縫い合わせがしてある。だから、数百年も命を重ねてきた僕たちが着ていても、ほころび一つ起こさなかったんだ」
「糸を使わない縫い合わせ？」
わたしは疑問に思った。
「それはね、一度、たがいの布の端の織りをほぐして、そのほぐれた糸同士をまた手作業で織り合わせるのよ。これは、パパにしかできない技術なんだから」
珠理が得意げに説明した。
それにしても……珠理って、こんなにおきゃんな娘だとは思わなかったわ。
「まぁ、他にもいろいろと工夫があるんだけど……ローゼンメイデンが身につける服だったから、妥協は許さなかった」
あちらの世界のジュンと同じように、どこかぶっきらぼうなしゃべり方をするジュンだけど、こと自分の作品を語るとき、やはりその語気は強かった。
「何よりも許せないのは、それがオークションなんて……お金で値打ちが量られる場所にさらされてしまっていたことだった。この衣装は、ぼくがローゼンメイデンのために作り上げたものだ。だから、蒼星石が持つのが一番ふさわしい」
果たして、オークションではどんな値が付いていたのだろうか？
わたしは、下俗な興味をついつい抱いてしまった。
（ちなみに、後で調べてみたら、ドール用の衣装としてはとんでもない価格だった）
いけない。わたしはその雑念を振り払った。
雑念ついでに、もう一つ。
「あの……わたしの薔薇水晶の服も、ジュンさんが？」
「うん。でも、デザインはほとんど水晶のマエストロ、槐が考えた。それを元にして、ぼくが細部を手直しして仕上げたんだ。もちろん、ローゼンメイデンのためのものに引けを取らないようにしているけど」
それを聞いて、わたしは少し恥ずかしくも嬉しい気持ちになった。
「……ありがとうございます」
そしてもう一つの不思議なお話と疑問。
ローザミィスティカが、マエストロたちの長寿の鍵を握っているとは。
ということは、わたしのこのローザミィスティカが、お父様の命に繋がっている、と考えて良いのだろうか？
でも、ジュンはこの時代になって珠理を作った。
それまでは、ローザミィスティカはジュンの命脈にどう作用していたのだろうか？
ジュンは続けた。
「ドールにとって、衣装は大切な要素だからね。優れた衣装があって初めて、ドールは精彩を放つんだ……ただ、薔薇乙女たちはそれに加えてもう一つ、欠かせないものがある。それがミーディアム。つまり、生命樹からの力を受け取るための媒体」
「確かに、僕たちはミーディアムの力なしではただの『生きた人形』でしかなかった、ですからね。だけど、不思議なのはなぜ、ミーディアムなしでも水銀燈はあんな力を出せたのだろう？」
蒼星石が同意しながらも、一つの疑問を投げかけた。
「うん。あれは……実はローゼン自身が水銀燈の仮のミーディアムとなっていたからなんだ。水銀燈自身は、父親に見捨てられた子だと思っているけど、本当は……」
ジュンは、そこで口つぐんでしまって、ちょっと考え込むと、また話し始めた。
「いや、そのあたりの事情はぼくにもよくわかっていない、この方が正しい。ぼくはローゼンが薔薇乙女の第一ドールとして水銀燈の製作に取りかかったとき、とても意気込んでいたのを覚えている。そして、慈しむようにパーツを組み立てて……でも、途中でローゼンはそれを放り投げてしまった」
あ、これは確かオーベルテューレと、白崎さんが名付けていたエピソードだ。
「だから、ローゼンが水銀燈のことをどう思っているのかは、ぼくにはわからない。だけど、ローゼンは……水銀燈だけは特別扱いしている。これは間違いない」
水銀燈。彼女は父である、ローゼンの愛に飢えきっていた。でも、もしも自分がローゼンの寵愛を、仮にゆがんだ形にせよ、最も受けていたということになるなら。
あのドール時代の水銀燈の生き様には、何か意味があったのだろうか？……ふと、わたしの頭の中に疑問がわいた。
「だいぶ話がそれてしまった。ごめん。で、ぼくがなぜ今までドールの庇護なしに命を長らえてきたかというと、それはぼく自身が転生を繰り返してドールと同じ状態にしてきたからなんだよ」
「転生？」
「うん。薔薇乙女たちは人工精霊が、それぞれの薔薇乙女達にぴったりのミーディアムが世の中に登場して、かつ契約を交わしたときだけ、その時代に目を覚ます。実は、この仕組みそのものが薔薇乙女達の長寿の秘訣で、ぼくもそれに習っているワケなんだよ。ただ、ぼくの場合はドール兼、ミーディアムというかたちだけどね」
「どうしてそうなんでしょうか」
「それはぼくにもわからない。ただ、長寿を保つ方法はぼくのこの方法だけではないらしい。ちょうど、水晶のお父さんであるエンジュも、水晶、君を生み出すまで永らえてきたわけだし、どうもこれは他にも存在している、ローゼンの弟子、つまりぼくの仲間たちにもいえていることらしい」
「うーん……複雑ですねぇ」
「そうなのよ。わたしもパパから何度も聞かされているけど、聞かされるたびに新しいハテナが増えるばかり。でも、実際に生きている普通の人間だって、自分がどうして生きているか、そしてどう命をたもっているのか、わからないわけだし……」
珠理が妙に悟ったようにつぶやく。
「そうね。確かにわたしも生命科学を研究すればするほど、わからないことばかり。技術は作れても、生命の本質に迫ることなんて……無理ね」
巴さんもため息をつきながら続いた。
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