と、そのとき。
巴さんの和服の帯から、電子音が鳴った。
「お客さん？」
帯から巴さんが取り出したのは、携帯電話だった。
「これは大変なお客さんだわ」
巴さんは携帯の画面をジュンに見せた。
「やっぱり来たかぁ……」
「見せて。パパ」
珠理も見る。驚くと、そのまま無言でわたしと蒼星石に携帯を手渡す。
玄関のインターフォンの呼び出しベルがそのまま携帯電話の呼び出しにつながっていて、携帯のフリップを開けると、インターフォンに組み込まれたカメラの映像が映し出されるしくみらしい。
「あっ」
わたしと蒼星石は、いっしょに声を上げて驚いた。
そこに映っていたのは、いま話題になっていた水銀燈……そして真紅だったからだ。
「こんにちわぁ。回覧板、持ってきたんですけどぉ……」
携帯のスピーカーから、確かに聞き覚えのある水銀燈の声が。でもあまり慣れていない声色に思えた。
「……どうするの？」
恐る恐る、珠理が両親に尋ねる。
「あ、いいよ。ぼくが出よう」
あっさりと、ジュン。
「はい。いま行きます」
携帯を通して、インターフォン越しに答えた。
「ちょっと。いまの声聞いた？ 聞いた事のある……そう、ジュン。ジュンの声よ。まったく、わたしをほったらかしにしておいて、こんなところで何をしているのよ」
つい今し方まで、水銀燈の横で自信なさげにうなだれつつ、水銀燈を後ろから急かししていた真紅の声がにわかに生気を取り戻した。
そう。回覧板というのはただの口実。
本当は真紅が直感で感じ取った、このお屋敷にある「何か」を探り当てることが目的だったのだ。
「でもぉ……他人のそら似かもぉ。だいいち、貴女のミーディアムがこの世界にいるワケないじゃなぁい。今頃、あっちの世界のｎのフィールドで迷子にでもなっているわぁ」
水銀燈が、ヒートアップし始めた真紅の頭をさまそうと、わざと冷たく言い放った。
「いいえ。ジュンはそんな弱い人間ではないわ。きっと、この世界にやってきているはず」
こりゃ、ダメかしらぁ……水銀燈は思った。
それから数分後。
縁側に、左からジュン、珠理、巴さん、わたし、蒼星石。
そして、それに真紅と水銀燈が加わって、ズラリと並んで座った格好に。
この家の縁側は見事なまでに広かったので、それでもまだ縁側に余裕があった。
みんな黙って、美味しいお茶をすすっている。
お茶請けは、近所で評判の手作り菓子店の大福だった。
柔らかくてもちもちとした生地で包み込まれた、小豆の芳醇な香りと滑らかな舌触りの餡が、程よい甘さでお茶の苦さに良く馴染んでいた。
とはいえ、実際のところは、誰から話題を切り出そうか、と迷っているところだった。
ジュンに招かれて、この庭に現れたときの真紅の顔は、何とも言葉にできないものだったことだけは、特筆すべきことだと思う。
水銀燈は、彼女自身の口調を借りれば、だから言わんこっちゃないわぁ、と顔に書いてある、といった有様だった。
この微妙な均衡を破ったのは、巴さんだった。
「回覧板、どうもありがとうございます。そういえば、あまりお見かけしないと思いましたが、引っ越してこられたのですか？」
回覧板を開いて、中を見ながら水銀燈と真紅に声をかけた。
「はぁい。最近、ちょっと家を出て、姉妹で共同生活を始めたものでして」
水銀燈がそつなく答えた。
てっきり口ごもると思っていただけに、意外だった。
「ご姉妹で？ それは賑やかでよろしいですわね」
「賑やかすぎて、ちょっと五月蠅いけど」
真紅がちょっぴり皮肉っぽい口調で続けた。
「お二人で？」
「いいぇ。わたしと、この真紅、他に妹が４人いますわ」
「ということは、そちら様が一番のお姉さん、なのでしょうか」
「はい。一家の代表ということですわぁ」
「いろいろとご苦労がありそうですね」
「それはもう……」
すっかり、初対面のご近所さん同士の会話だ。
そこに、蒼星石が突然割ってはいった。
「す、水銀燈。もしかして、ぼくの姉さんもいっしょに？ 翠星石は？」
「ええ。彼女……」
喋りかけた真紅の口を水銀燈が塞いだようだ。
「むぐむぐ……」
ひそひそと、水銀燈が真紅の耳元でささやいている。
すると、真紅はそのまま黙ってしまった。
「それはそれとして、そちらのお嬢さん達、どこかでお会いしてないかしらぁ？」
話題を切り換えようと、水銀燈が、首を伸ばしてわたしたちの方を見ながら言った。
改めてみると、確かに美女である。
「え？ えーと……人違いでは？」
そう答えると、水銀燈は納得したように続けた。
「そうね。ああ、そういえば、お二人とも夏頃の新聞の写真記事に出ていたようですし、それにここのお嬢さんもよくテレビなどでお見かけするわぁ。それで、そんな気がしたのね」
水銀燈は、自分自身、そしてここにいる全員に納得させるような口調でにこにこ微笑みながらいった。水銀燈がこんな腹芸……っていうのかしら、こんなこともできるというのが意外だった。
あくまでも、かつてのドール時代のことは忘れて欲しい、そんなつもりのようにわたしは思えた。
「うん。ぼくも……このふたりのお嬢さん。蒼星石さんと水晶さんを初めて見たのは夏の新聞の写真でね。ご近所さんだと知ってびっくりしたよ」
ジュンも、そのつもりのようだった。
そこへ突然、真紅が声を上げた。
「でもジュン、あなた……」
でも、すぐに自分自身で黙りこくってしまった。
それからお互いに他愛のない近所話をしあって、「それじゃぁ、長居して申し訳ありませんでしたぁ。これにて失礼いたします」と、水銀燈が帰る段に。
「いえいえ。おかまいもできませんで」巴さん。
「良いお茶でした。……この世界では……いえ、ごめんなさい。失礼しました」
真紅も、何か言いたそうだったけど、がっくりとうなだれて水銀燈に続いた。
巴さんのお見送りで、ふたりはこの暖かな縁側から去っていった。
わたしはジュンの方を見た。
なんだか、少し傷ついたような、申し訳なさそうな顔に……見えた。
「あ、ぼく用事を思い出した」
そう言って立ち上がる蒼星石。けど、ジュンがその腕を取って、蒼星石の顔を見ると首をゆっくりと横に振った。
蒼星石は、残念そうな顔になると、そのままジュンに従った。
わたしたちも、いつまでもおじゃましていてはいけないと思い、そのあとすぐに珠理の家を後にした。
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