暖かな湯気の立ちこもる中、浴室に澄んだ声の鼻歌が広がる。
「ふう。いいお湯。こうして冬の夜に長湯をするのは気持ちいいわねぇ」
広いおでこがチャームポイントの美少女が一人、少し温めのお湯を満たしたバスタブに浸かっている。湯気は、バスタブに向けて少しだけ放流している熱めのシャワーで作っていた。
ちょっと天然のウェーブがかかっているしなやかな髪をタオルでくるんで、あとは当然、生まれたままの姿。
少し年頃にしてはやせ気味なところがあるものの、高校生らしい健康的な体だった。
長湯でのぼせないように、少しだけ窓を開けている。
この窓の開け加減が難しい。狭いと湯気で何も見えなくなる。かといって、開けすぎると外の冷気でせっかくの湯気が台無しになってしまう。
この辺りの加減も楽しみつつ、その美少女、桜田のりはゆっくりまったりと入浴タイムを楽しんでいた。
「でも、ジュン君が立ち直ってくれて良かった。ただ、もう少しだけ、お姉ちゃんのことを気にかけてくれたらなぁ……」
ふと、ひとりごと。
とらわれの身になった真紅たちを助けに、鏡へと身を投じたジュンが帰ってきたのは、翌日のことだった。
のしかかる不安に耐えながら、のりが夕食の支度をしていたら、なにやらドスン、と物置の方から物音が。
もしや、と思い駆けつけると、そこにはすっかり疲労困憊、まるで魂の抜け殻のようになっていたジュンが倒れていた。どうやら、鏡から出てきたらしい。
「ジュンくん、ジュンくん？ ジュン！」
体を揺さぶるが、反応がない。でも、息はしていた。
「どうしよう……でも、こうなったらヨイショおっ！」
火事場の馬鹿力とでもいったらいいのか、のりは弟可愛さに、その細身な身体からは想像できないほどの馬力で、なんとかジュンを二階まで引っ張り上げ、ジュンの部屋のベッドに寝かしつけた。
それから、のりの誠心誠意込めた看病が功を奏して、まるまる三日三晩意識を失い続けていたジュンは、目を覚ました。
「あれ？ ここは？ お、姉ちゃん？」
目覚めたジュンは、以前のジュンではなくなってしまっていた。
「真紅？ 翠星石？……雛苺？ なんだい、それ？」
まるで何日も食べていなかったかのように、のりの作った西洋風雑炊をむさぼるように食べ、清涼飲料水のペットボトル一リットル分を一気に飲み干し……再び少し眠って、それから起きると、「真紅ちゃんたちはどうだったの？」との、のりの問いかけにジュンはこう言い放ったのだ。
「え？ だってジュンくん、真紅ちゃんたちを助けに……」
「ははは。また姉さん得意の作り話かぁ。でも、ぼくもとんだことで熱を出してしまったなぁ。学校、どうしよう」
引きこもりになる前のあっけらかんと明るく、素直なジュンがそこにいた。
「ジュンくん……」
のりはそれ以上、真紅たちのことはいいだせなかった。
それから、ジュンはすぐに学校に復帰した。
あの引きこもりの期間は、なぜかいつの間に「感染性の病気で長期休暇」ということになってしまっていた。
何のわだかまりも恐怖もたじろぎもなく、ジュンは学業の遅れを取り戻すのに骨を折りつつも、徐々にごく普通の学園生活に融け込んでいった。
そして、そうこうしているうちに、ジュンが趣味で縫ったドール用ドレスが、とあるドールファッションコンテストで大賞を取った。
おかしなもので、いくらその腕が優れていても、趣味として好きにやっているぶんには変人扱い。だが、それが社会的に影響力のある賞という形になって認められると、とたんに時代の寵児として認められだすのだから……不思議なものである。
「桜田、よくやったな。お前はクラスの自慢だ」
ジュンとあまり根本的に相性の良くなかった、担任の梅岡であったが、持ち前の偽善から、ジュンを持ち上げた。
そして、ジュンは一躍クラスのヒーローとなった。
その中でも、いちばん変貌を見せたのは桑田由奈だった。
「あのね……桜田君、あの文化祭のプリンセス用のドレスのデザイン、気に入ってたんだ。わたしのために……作ってくれたらうれしいんだけど」
授業の合間の休憩時間に、クラスメイト衆目の教室で、もじもじしながら恥ずかしそうに、桑田はジュンに話しかけてきた。
「ああ。いいよ」
そして、事実上ふたりは公認のカップルになった。
|
