草笛みつ。
最終学歴は旧帝大の中でもこの国の首都にある最高学府……すなわち最難関校である。それから、紆余曲折を経て、今はとある中堅メーカーの事務部門に職を得ている。
一つ前の職歴は総合職であったが、今は一般職であった。
本来、その学歴からすると総合職でも選良、いわゆる出世コースに乗ることができる資格を備えていたが、彼女はそのレールの上には乗っていなかった。
従って、普段はそんなに帰りが遅くなることはない。
これは、とあること−他の薔薇乙女たちが忽然と姿を消してしまった事件以来の生活パターンである。
よって、サービスや付き合い残業なんてものとは無縁の生活であった。
給料は彼女の同年代大卒としては、中の下程度だったので、ＲＣ造のしっかりした賃貸独身者向けマンションに居を構えることができた。
みつはメインエントランスにカードキーを差し込み、ロビーに入ると郵便物と宅配ポストを確かめた。
きょうは宅配は来ていないわ……。
ちょっとだけ、寂しい思いをしつつ、エレベーターで自分の部屋の階へ上がる。
よくある孤独なＯＬの帰宅風景だが、みつの場合は違っていた。
「ただいま、カナ」
「お帰りなのかしらー」
金糸雀は、ちょうど添削先生のバイトを終えたところだった。
みつには、金糸雀という家族がいた。
家族といっても、血が繋がっているわけでもなく、友達でもない。金糸雀は生きた人形、ローゼンメイデンの第２ドールであった。
二人の出会いは、そもそもみつの趣味から始まった。
その趣味も学生時代からのものだ。
「さてと。今日はポトフにするよ。カナ」
帰りがけにスーパーにて買ってきた夕食の材料を、レジ袋から出しながら、みつは今夜の献立を決めた。
忙くて帰りが遅くなる時は別として、みつはなるべく家で料理するようにしていた。
そんなに手の込んだものではなく、たとえば今夜のポトフのダシはブイヨンを使って、割と手軽に作る−そういう、あまり手間の掛からない普通の家庭料理がほとんどであった。
それでも工夫をして、ちょっと洒落たメニューにするよう、努めていた。
以前登場した、パンケーキの元とホイップクリームを使った、プチパンケーキセットはその一つの好例である。
「うん。みっちゃん、それじゃわたしはサラダ作るのかしら」
サラダも、レタスをほぐして水洗いした後、皿に盛って真ん中にこれまたスーパーで買ってきた特売品のポテトサラダを乗せるだけだった。
後は漬け物や、ご飯、たまにパン、など、シンプルな夕食が多かった。
金糸雀は絶対駄目なものを除いては好き嫌いが少なくなったので、みつとしても、手間が掛からない同居人だった。
下ごしらえをして、材料を鍋に入れて煮込み始める。
手が空いた時に風呂の支度とかの、晩の支度をする。
洗濯物は洗濯乾燥機を使っているので、外に干したものを取り込む必要はなかった。
また、乾いた洗濯物は金糸雀がキチンと分けて畳んで、タンスに仕舞っていた。
ボンヤリしているようでいて、実はなかなか金糸雀も身の回りのことはできるようになっていた。
「いただきまーす」
二人だけだけど、暖かい家族の食事が始まる。
「今日はカナ、どうだった？」
「うん。テストの採点と、後は読書かしら」
「どんなご本読んだの？」
「法哲学についての本かしら」
「ふーん……確かヘーゲルからだったっけ？ あれ、ややこしいのよね」
「ふつう、そう言われているかしら。でも、コツを掴めばそうでもないカシラ。それにしても、このソーセージ美味しいの」
「うん。いつもより一パック１００円高いの買ったから」
二人の贅沢といえば、たまにちょっとだけいつもより高い食材を買ったり、美術館巡りをしたり等であった。
「それにしてもカナ、好き嫌いだいぶ無くなったね」
セロリとニンジンを抵抗なく食べられるようになった金糸雀を見て、みつが感心したように言った。
「う、ん……だって、今は大変なことになっちゃっているでしょ？ だから……それに、雛苺が戻ってきたとき、カナ、負けていられないかしら」
その言葉にじわり、とみつの目が潤んだ。
「ああんっ」
ハタ、とみつは食事もそっちのけに立ち上がり、カナのそばに行き、
「可愛いーっ。カナ、その健気さがまた可愛いーのっ」
と金糸雀にほおずりを始めた。
「きゃーっ。ちょっとみっちゃん、お食事中なのかしら。お行儀が悪いのカシラぁ」
と、逆に金糸雀に諭されるみつ。
「はっ。そ、そうね。わたしったら、つい」
ちょっとバツが悪そうに自分の椅子につき、食事に戻る。
しばらく、無言で食事を続ける二人。
「でも、本当にみんな、どうなってしまったのかしら……」
寂しそうに金糸雀。あの修羅場の土壇場でジュンに見栄を切ったものの、やはり根が優しい金糸雀は、言いようもない不安と寂しさを抱えていた。
「そうね。わたしも他のみんながいなくなると寂しいわ。みんなをお迎えしてパーティ開きたいのに……はぁ」
話題が暗い方向に行き、そのまま黙々と二人は食事を終え、後片付けを済ませると、みつと金糸雀は互いに抱き合ってオーイオイオイと涙を流すのであった。
このように、草笛みつは自分の時間を削っても収入を増やし、金糸雀に何かを施すことよりも、ただ金糸雀と過ごす時間を増やし、そして大切にするようになっていた。
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