「ねぇ、翠星石？」
ここは珠理たちのいる世界。
闘うために作られたとされる、ローゼンメイデンとしての人形の体ではない、生身の人の体を得た真紅が、熱い午後の紅茶をすすりながら、テーブルを同じくする姉に話しかけた。
「なんですか？ 真紅」
「今、ふと思ったの。闘うことって結局、どういうことだったのかしら」
「急に何を言い出すですか。うーん、それはですね……」
「お父様に会う為よ」
考え込む翠星石に替わって、長姉である水銀燈が即答した。
真紅と同じ紅茶を、ふうふうと息で冷ましながらすすっている。
「お父様……か」
春も盛りを過ぎ、そろそろ初夏の気配が感じられそうな陽気だった。
庭にしつらえられた丸いテーブルの上に、大きなテーブルパラソルが無ければまぶしく、暑くてお茶も飲めそうにないほど、その日は暖かかった。
乙女達は、こちらの世界のジュンが創作した普段着を着ている。
というより着せられている状態であった。手芸では超一流のマエストロであるジュンにとって、容姿端麗、気高く可憐で美の象徴である薔薇乙女たちは創作意欲をかき立てる、格好のモデル達であった。
その季節季節に合った普段着、時にはよそ行きまで、乙女達にプレゼントするのであった。
ジュン曰く「……よし！」なのだそうである。
時折、ちょっと強めのそよ風が緑の息吹を運んでくる。
テーブルの上にぽつぽつと、近くの緑地公園から運ばれてきた黄色い花粉が降り落ちる。そんな花粉をそっ、と人差し指の先に付けると、雛苺が不思議そうに眺めた。
「黄色い粉なのー」
「それは松の花粉ね。そんな季節になったのね」とめぐ。
めぐはかつての長い病室暮らし。その中で、季節の便りは病室の開け放った窓からやってくるものだけだったから、こういうことにわりと詳しい。
真紅はさらに一口すすると、そっ、と目を閉じた。
「わたしたちの前からいなくなってしまったお父様。でも、その足跡は身近に感じ取れる。そう、無理に……」
そこで言葉をいったん切った。
「それより、あちらの世界のジュンは今、どうしているのかしら。わたしはあえて契約を解いたけれど、今でもどこかで結びつきがあると信じているわ」
「それは翠星石だって同じですぅ」
翠星石はスコーンに、春苺から作って少し時間の経った、程よい食べ頃となった苺のジャムを付けるとサクリ、と噛んだ。
見ると、雛苺は嬉しそうにそのお手製のジャムをスコーンが隠れるほどタップリとかけて、嬉しそうに口に運んでいる。
「ガツガツするな、ですう」
「だって、美味しいんだもん」
「そ、そうですか。だったらもっと食べやがれ、ですぅ」
自作のジャムを褒められた翠星石は照れ隠しに、わざとつっけんどんに雛苺にジャムを勧めた。
そんな様子を見て、水銀燈とめぐはお互いの顔を見合わせて、微笑んだ。が、水銀燈の場合、まだ優しく微笑むという仕草になれていなかった。ので、少し引きつった笑いになってしまった。
そんな水銀燈の仕草を見て、真紅は微笑んだ。
さて、オディールはこの茶席にはいなかった。
彼女には用事があった。
場所は近所のとある廃屋。
割と通行量の多い一方通行の道路に面し、背後には小さな畑が広がる。
住人がいなくなってから十数年が経つだろうか。
２ＬＤＫのちっぽけな元賃貸平屋建てで、玄関は木の引き戸。それは色を失い、ささくれだった木目を見せていた。屋根瓦も落ち、みっともない地肌を晒していた。
窓はいくつか割れたのか、ベニアで補修されている。雑草だか蔓草が錆びたトタンの外壁に触手を伸ばしたかのようにへばり付き、それすらも枯れて黄土色となり、ここに人の気配はあり得ないことを示していた。
すぐ傍に中規模のショッピングスーパーの立派なビルが見えるだけに、対比的なそれはいっそう、異質感と不気味さを放っていた。
よく見ると、その戸がひと一人、入れるだけ開いている。
そこから中を覗いてみよう。
すると、一人の白いワンピース、それもよそ行きの立派なものを着た美少女が立っていた。およそ、壁も天井も腐って割れ、今にも溶け出しそうな内部には似つかわしくない姿だった。
少女は怯えていた。
ある秘密を誰かに知られているから。
その秘密は、その少女、オディールの義肢に今朝、浮かんだ文字という形の手紙で暴かれた。
要約すると「あなたのあの頃のとっておきのカクテルを知っているわ。興味があるのならここにいらっしゃい」。
それだけでオディールはその意味するところを呑み込み、指示されたこの廃屋にやってきたのだった。それも、わざと午後のお茶の時間の頃合いの時間帯を指定して。
「誰？こんな気味の悪いことをするのは……誰なの？」
か弱い声で、カビと腐臭の混じった、すえた室内の空気に問いかける。
答えは、目の前に現れた。
「きゃあっ」
驚くオディール。
目の前に、忌まわしいあのカクテルが、いつものグラスと共に突然現れたからだ。
「こ……これってあの？ ああ」
オディールの体はそれを見るなり、ブルブルと震え始め、口を閉じることも叶わないほど唇から力が抜けていく。と同時に、そのカクテルから異様なまでに蠱惑を感じ、つい手を差し出して、それを取ろうとする。
しかし、その刹那、頭にとある人物の姿が浮かんで、その欲求を思い留まらせた。思わず、その人の名を呼ぶ。
「おじさま」
それはローゼンの姿だった。
目を閉じると、オディールは思い切って振り払うようにその虚空に浮かぶカクテルをなぎ払った。
ぼとり、とそのカクテルは腐った畳の上に落ち、グラスは割れ、中から薄紅色の液体がこぼれ出た。
すると、すうっ、と白いドールの姿がその上に現れた。雪華綺晶である。
「マスター。どうして喜ばないの？ これはあなたが一番好きだったもののはず」
相変わらず狙いの定まらない不気味な笑みを浮かべつつも、その目は悲観に暮れ、声もそれに似合わず、とても悲しそうだった。
「マスター……ですって？」
オディールは誰に言われるでもなく、覚えていたわけでもなく、無意識に左手の薬指を見た。
そこには、無かったはずの薔薇の指輪が忽然と輝いていた。
「きゃあっ」
それがどうしようもなく汚らわしいものに思えて、手を振ってそれを取ろうとした。指で摘むのすら、汚らわしいと思えたから。
当然、落ちない。仕方なく、必死の思いでそれを掴む。その瞬間。
オディールの記憶の欠落が修復された。
それは、白い不思議なドールの幻影に導かれ、日本へやってきて、ローゼンメイデンを３体所有している男の子を訪れ、そして雛苺。ドールの姿だった雛苺のマスターを偽り、そして見知らぬ部屋に雛苺と閉じこめられて……
「いやあぁぁぁぁぁ」
ありったけの息を吐き出して叫ぶ。当然、それは外の通行人の耳に届いた。
そして、その中に偶然、蒼星石がいた。
たまたま夕食の材料が足りないお使いに、スーパーへ向かっていた蒼星石。
そこへこの叫び。と、共にピンと来る感覚。
「くそっ」
一言つぶやくと、瞬時にレンピカを召還し、それは剪定鋏へと姿を変えた。それを手に、蒼星石は廃屋の中へと躊躇無く飛び込んだ。
朽ち果てた玄関など、ひと破りだ。
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