ここは、この都市の警察署。
明るくこざっぱりとしたその外観とは対照的に、どことなく緊張かつ殺伐とした空気が感じ取れる場所だった。
真紅にとっては、無粋であるけれども、我慢できない場所ではなかった。
だが、翠星石にとっては。
「真紅ぅ。なんだか落ち着かない場所です、ここは。蒼星石はこんなところに囚われになっているのですか」
と、真紅の背中にピッタリとくっついて不安を隠しきれない様子。
巴は、何か考え事をしている様子。そう、何か作戦を練っているような……。
「あ」
そこへ、槐もやってきた。
「どうも。いつも宅の娘がお世話になっております」
「いえいえ。こちらこそ。いつもこちらの娘がお邪魔して、ご迷惑をおかけしております」
と、極めて日常的かつ平凡な挨拶が交わされる。
その様子は、かつてアリスゲームのために薔薇乙女たちを次々と罠にかけた非情な人形師、かたや究極の人工関節を備えた新陳代謝システムと交感神経系を備えたドールの手足を創造した科学者、同士の会話にはとても見えなかった。
「それで」
「ええ。あの件なんですが」
「はい。あの件ですね。それは……」
そのまま会話を始めた二人は、真紅と翠星石に気を使い、
「真紅、それに翠星石。悪いけど、ちょっと塊先生と話があるの」
と、二人に断りを入れた。
まだ肝心の内容については、二人に知ってほしくなかったのだ。
「分かったわ」
真紅は大体、見当が付いていたのでそれに従い、翠星石と一緒に二人から離れた。
夕方のパトロールの最中なのか、署内の玄関からつながるロビーは人気もなく、殺風景だった。
そこで塊と巴がなにやら真剣そうにひそひそ声で話し合っている。
それをただボンヤリと、備え付けのソファーに座って待っている真紅と翠星石。
真紅は思った。
（それにしても。ここまでおかしな状況に置かれてしまうとは。まったく、命は長らえてみるものだわ）
「真紅？ あの二人は何を話してやがるですか？」
心配そうに翠星石がつぶやくように聞いてきた。
「そうね。たぶん、オディールと蒼星石は、この世界の掟の一つに引っかかってしまったようね。それは……たぶんあの子のせいでしょうね」
あくまでも冷静な口調で答える真紅。
「あの子って……またアイツですか。許せんです！ 遂に蒼星石まで罠にハメようとは……」
あの子、つまり雪華綺晶のことである。あえてその名を口にせずとも、トラブルメーカーといえば彼女しかいなかった。
「そのことなんだけど、もしかしたらあの子、罠を仕掛けたんじゃなくて、たまたま何かをしようとして、こういう展開になってしまったんじゃないか、わたしはそう思うわ」
真紅は例の、翠星石の夢の中のできごとから推測して、そう言った。
「へ？」
一緒に憤慨してくれるものと思っていた真紅の意外な反応に、翠星石が面食らった声を出すと同時に、塊と巴が打ち合わせを終えて、やってきた。
「真紅、それに翠星石。お願いがあるの。これからわたしたちが言うこととすることについては、そのまま調子を合わせて欲しいの。もちろん、納得いかないところもあるでしょうけど、ここでそれを出したら、さらにややこしいことになるわ。だからお願い。頼みを聞いてくれるかしら？」
いつになく真剣な眼差しで二人の目を見ながら話す巴に、真紅はすぐに応じた。
「わかったわ。なら、早く行きましょう。さ、翠星石、行くわよ」
「え、え？ でも……ですぅ」
「蒼星石を牢屋に入れたいの？ だったら巴の言うことに従うべきね」
「えー、いくら何でもそんなことまでには……わ、わかったです……」
ちょっぴり不服そうだったが、翠星石も従った。
案内看板を見ながら、事前に聞かされていた部署を探した。
二度ほど間違えて、ようやく辿り着く。
目的のカウンターで、塊と巴が用件を告げると、四人は別室へと通された。
そこは妙に何もない、妙に単調な部屋で、しかも窓には鉄格子。
自然と、翠星石が身を固くする。
やがて、担当署員二人が、もう一人を伴って現れた。
「そちら様が、塊 蒼星石さんと、薔薇 オディールさんの保護者の方ですか」
一人の署員が口を開いた。
真紅たちの表向きの名字はズバリ、ローゼンこと薔薇という名字だった。
「変わった名字ですね……さて、お呼びだてしたのには理由がありまして……」
「はい」
槐が答えた。それから、一人の署員によって状況が説明される。
もう一人の署員は座って調書を取り始めた。
例の廃屋の近くの住民から、女性の突然の悲鳴が聞こえたとのことで、警察に通報があった。パトロールに出かけていた近くの警察官が駆けつけると、廃墟の中で少女がその場に倒れていた。
そして、それをしきりに介抱する少年……いや、少女がいた。そして二人はとりあえず保護された、といった状況であった。
それだけであれば、警察でしばらく休ませてから、保護者に連絡して引き取ってもらうだけで済むはずだった。
ところが……。
「現場に落ちていた破損したグラス、その中の液体から麻薬取締法に該当する成分が検出されたのです。これは一体、どういうことなのか説明していただけますか」
もう一人の人物が問いただしてきた。彼は組織犯罪対策課の刑事だと名乗った。
来たな、と塊と巴は思った。
「実は……オディールは四肢が義手でして、まれにかなりの疼痛を覚えることがあるのです。それで、薬用としてモルヒネを調剤しているのです」
巴が説明した。
「しかし、あなたは開業医ではないのではないですか？ それは医療法違反になるんですがねぇ」
「それでしたら」
そう言うなり、巴は持参のショルダーバックから大量の書類を取り出し、机の上に置いた。そして、理路整然と医師免許を提示した上で病院開設許可を得ていること、また、法に準じて管理、及び必要書類を定期的に提出していることを説き始めた。
「うーん……でもねぇ」
「わたしも、実は医院を持たない開業医でして」
続いて、槐も同じく書類を取り出すと説明を開始した。
こうなると、別課の刑事の管轄になってしまう。
明らかに困ったような顔になる刑事。
ふと、思いついたようにかつ、唐突に真紅達に問いかけた。
「あ、ところであなたはオディールさんと生活を共にしているそうですね。いつも病気の時、誰に診てもらっていますか」
「はい。この樫 巴先生です。いつもちゃんと健康診断から、健康アドバイザーとして面倒を見ていただいておりますわ」
「はいですぅ」
真紅、そして翠星石がよどみなく答える。この点、そつはない。
はーっ、とため息をつく刑事の男。
そこへ、部屋のドアをノックする音。
刑事の男が呼ばれて、外へと出て行く。
後には署員二人と、巴と槐、真紅と翠星石が残された。
「……先生。いろいろご迷惑をおかけしていますが、私達もこれが仕事でしてね。特に、最近は若者の間での薬物の乱用が問題になってまして、それでご足労願ったわけでして。それよりも、二人を襲ったと思われる不審者に心当たりはありませんか？ 私どもで現場を調べたのですが、犯人の痕跡らしきものがないんですよ。落ちていた割れたグラスを調べても、何の手がかりも出なくてね。本当に、心当たりはないんですか？」
「恐らく、歩いているところを急に疼痛に襲われたオディールが治療薬を飲もうと、つい廃屋の中に入ってしまったものと思われますわ。違法侵入についてはお詫びいたします。ですが、何しろ服用する薬物が薬物ですし、緊急のことですので……お察し下さい」
巴は後へ引かない。
真紅もこれを見て、さすがこちらの世界でも巴ね、と思った。
たぶん、薬の出もとはあの子の仕業だろう。しかし……なぜあの子は、そんな麻薬成分の入った薬をオディールに与えた、のだろうか？
「だったら、先生。グラスにはオディールさんの指紋が付いているはずなのですが。グラスからは全く指紋の類いが検出されなくて……」と署員が仕掛けてきたところへ。
慌ててドアを開けてさっきの刑事が入ってきた。
「いや、すみません。全てこちらの勘違いでした。確かに先生方は間違いなく開業申請を受理されています。さっそく、お二人を連れてきますので、お待ち下さい。おい」
そう言うと、署員二人をうながす。すると、直ちに二人は部屋の外へ消え、じきにオディールと蒼星石を連れてきた。
「蒼星石」
切なげに叫ぶと、翠星石は蒼星石を抱きしめた。
「姉さん……ごめんよ。いろいろと心配かけて。今まで冷たくしてごめんよ」
と抱き返す。
（これで、二人のわだかまりも全て解消できたようね。雨降って何とかやら……一安心だわ。それより、オディールは？）
心の中で思う真紅に、オディールは。
「真紅姉さま。ごめんなさい。わたしがしっかりしないばかりに」
深々と頭を下げてきた。
（あら？）何となく、真紅は違和感を感じた。でも。
「いいのよ。もう心配しなくても。それより、巴さんと槐おじさまに礼を言わないと」
「はい」
オディールはそれに従った。
二人に深々と頭を下げ、心から感謝の言葉を述べた。
（想像していたのとは、違う。でも、これはこれで……）
真紅が思っていたよりも、違うアクションを見せてきたオディールに対して、真紅は少しだけ違和感を持ったが、
（それは、わたしの心が少し心が邪になっているせいかも）
と、それを打ち消した。
こうして、晴れて釈放となったオディールと蒼星石をそれぞれ連れて、無事帰宅する二組であった。
真紅がこの事件のすぐ後、こっそり、急に釈放された訳を巴から聞いた話だと、こういう時のために、あらかじめいろいろと手を回しておいたおかげなのだそうだ。
確かに、珠理のような子供を育てるためには、いろいろと世の中の便宜を図る必要があるのだろう。それは納得できた。
でも、やっぱりあの子……雪華綺晶は、麻薬入りの薬なんかをオディールに薦めたのだろう。
その疑問は晴れなかった。
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