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そして開かれる道 ページ3
 一方、こちらはドール達が人間になって生活している世界。
 蒼星石は夢の中にいた。
 とはいっても、蒼星石自身が眠っているわけではなく、蒼星石は覚醒した状態で正気だった。
「あちらの世界ではミルクのような無意識の海……だけどこっちの世界はずいぶんと。まるで万華鏡だ」
 一人つぶやく。
 彼女にとって無意識の世界と夢の世界は自分の庭のようなものだった。
 あちらの世界では、自分に自信が持てないばかりに無意識の世界へと逃げ込んでしまっていたところがあったり、妙に戦闘的になってしまっていたのだが、不思議なもので人間の体をもらってからというもの、何かの虚ろな入れ物に閉じこめられていた自分の魂というものが、落ち着くべきところに落ち着いたというか……そんなある種の実感というものを、軽い戸惑いと共に感じ始めていた。
 あちらの世界でいうところのnのフィールドは、こちらの世界では様相が全く違っていた。ただ果てしなく広がる無の海ではなく、無数の扉も世界樹もなかった。
 混沌……ただ、それだけだった。
 蒼星石は翠星石同様、nのフィールドに関しては玄人だった。
 どこに行けば何があるのか、何かを見つけるにはどうすればよいのか、道はどう繋がっているか。世界樹の枝の読み方など、nのフィールドで振る舞うべく術を身につけていた。だが、この世界はどうだろう。
 今、蒼星石の視野に映るものは万華鏡から替わって、複眼から覗いた、様々な人の意識模様。今は表の世界では人々が覚醒して意識活動を行っているから、その人々の意識が映像となって伝わってくる。その気になりさえすれば、嗅覚や触覚も知覚することができるだろう。
 だが、あえて蒼星石はそれを己の第六感から来る警告に従って、遮蔽していた。
 もし、この世界というか……世界と呼んでよいものかどうかすら怪しかったが、この場に何の準備も持たない者が入り込んだら、きっと気が触れてしまうだろう……蒼星石は思った。
 自分が作り上げているこの場所、「立っていられる」空間すら作れず、映像やら感覚やら情念やら……厄介な迷宮に迷い込んでしまうことだろうな、そう思った時。
 琥珀色の大きな光球、パルファムがすう、と蒼星石の前に現れた。
「待っていたよ。さあ、わたし……いや、僕を案内してくれないかい?」
 蒼星石は、パルファムを待っていたのであった。

 パルファムは了解の意志を示すように一瞬だけ光度を増すと、混沌の中の虚空へと高く上昇を始めた。
「行くよ。レンピカ」
 レンピカを伴うと、蒼星石はパルファムの後を追った。
 無数の意識の映像がぐにゃりと変形し、小さくすぼまってやがて光点になり、それは宇宙の星々となった。いつしか、混沌の意識空間から宇宙空間に出てしまったようだった。だけど、息は苦しくないし、体に何の差し障りも感じられない。
(ああそうだ、いまわたしはドールの体に戻っているんだ)
 水銀燈から実質上返してもらった形になっている蒼星石のローザミィスティカは、ドールに戻った蒼星石の体の中で光り輝いていた。
 生身の人間の肉体では、この小旅行は耐えられないものになっただろう。
 だけど、平気。不思議なことに、ドール時代にはかすかな嫌悪を抱いていた、ドールの体そのものに、今は逆に信頼と誇り、そして自信すら感じ取れるのであった。
 星々はゆっくりと前方へと色温度を上げながら集まり始め、やがて光の集団となった。かすかに覚えていた知識で、わたしは今、光に最も近い速度で移動しているのだな、と悟った。
(まさか。こんな方法とは)
 この先、どうなるのか。蒼星石は持ち前の好奇心に胸を震わせながらも、若干の不安も感じ始めていた。
(いけない。しっかりしないと)
 そう自分に言い聞かせた時。

 視界がブラックアウトし、刹那、光点が再び全空に広がった。
 それは美しかった。この世界の全ての玉や宝石を全て集めて散りばめたよう。
 その宝石の一つを、よく目をこらして見てみた。
 それは小さな銀河だった。他の百花絢爛の宝石は全て、小さな星団だったり、銀河であった。
 我を忘れて見とれる蒼星石。
 気がつくと、パルファムが先導し、自分はレンピカに伴われて追従している。
 宝石はゆっくりと後方へと流れていって。もし速度という尺度で測るのなら、とてつもない速さで「飛んでいる」のだと悟った。
 やがて宝石がまばらになっていき、いつしか一つ、また一つとまばらになって、ついに何もない空間へと突入した。
 本当に何もない空間。これはしばらく続いた。それでも、速さという単位がまだ通用するのなら、この空間を飛ぶ速さは、宝石の空間を飛んでいた時の速さに、さらに宝石の持つ全ての星の数同士を何百万回も掛け合わせたよりも、ぐん、と「速く」なっていたのだ。
 そうこうしているうちに、新しい宝石の一つが姿を現した。
 そして、宝石はまた一つ、一つと増えていき、気がつくと再び全空が宝石に覆われた。けれども、さっきの宝石たちとはどこか違う……蒼星石は思った。
 確かに、宝石の種類が増えていた。さっきの天空とはまた違った趣であった。
(これは……今までの世界とは違う……)
 それは、はっきりとわかった。

 そして、再びのブラックアウトの後、今度は背後から赤い光球が迫ってきて、やがてそれは散り散りバラバラになり、白い光点、つまり星々となって蒼星石達を取り囲んだ。
 なぜだか、妙に懐かしさを感じるその空間。
(……僕は、帰ってきたんだ)
 不安から、最近慣れた女言葉に時々変わっていた蒼星石であったが、かつての世界に戻ってきたことが知れると、自然に昔の男言葉調に戻っている。
 ともあれ、尚もパルファムは飛び続けた。
 やがて漆黒の空間に一つの新しい宝石が確認できた。それは青かった。
 ここでパルファムは一気に速度を落とした。
 既に速度という単位が意味を取り戻した領域に入っているのだ。

 宝石は視界の中でぐんぐん大きくなり、すぐにそれが地球であることが知れた。
(いけない。このままでは人形の体では、摩擦熱で)
 それでもいっこうに構わずパルファムは大気圏に突入を開始した。
「待って!」
 あわてて蒼星石は叫んだ。
 だが、心配は無用だった。
 いつの間にか蒼星石の衣装に隠れていた、翠星石のスイドリームが現れ、水のトンネルを形成した。
 そのトンネルが作り出す急速な気化熱と、他の不思議な力に守られて、あっという間にパルファム、レンピカ、スイドリームの人工精霊3連成に守られた蒼星石は、家から出かける時に水晶から手渡された、折りたたみ傘を広げると、地上に降り立った。
 そこには、スイドリームの水のトンネルによって作られた、にわか雨が降っていたが、それはすぐに止んだ。
 蒼星石が傘を払うと、雲が急速に消え青く晴れ始めた空に、七色の虹が浮かんでいた。蒼星石はその虹が消えるまで、しばらくぼうっ、とそれを眺めていた。そして。
「ふう」
 蒼星石は一息つくと、ちょっぴりだけ、自身の服に付いた水滴を払った。

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