話は再び、パルファムと本来の世界へ戻った蒼星石へ。
老人宅を後にした蒼星石は、鞄を再び取り戻したこともあって、ある計画を実行しようと思っていた。
それは、少しだけ旅に出てみよう、というものだった。
パルファムにそれを相談すると、快諾を得ることができた。
（……ただ、服は着替えて。そう、これを使うといい）
まるでそんな蒼星石の気持ちが分かっていたかのように、パルファムは一揃えの、よそ行きのちょっと男の子っぽい、それでも女の子用の服を差し出した。
パルファムは見えないもの入れを持っていて、そこからいろいろなものを自在に取り出したり、仕舞ったりできるようだ。
「これは……ジュンさんが？」
（そうだよ。わたしとジュンで話し合って、蒼星石はｎのフィールドで旅をしていたから、きっと現実の世の中でも旅をしたいと思っているだろうから……とこの服を用意したんだよ）
「何だか、してやられた、って感じだなぁ」
（すまない、心を読んでしまったようなことになって。気に障ったのなら、謝るよ）
申し訳なさそうなパルファム。でも、蒼星石は感謝の気持ちを伝えた。
昔の蒼星石なら、余分なことは止してもらいたいね、と反発するところだったのだが。蒼星石もまた、成長を続けているのであった。
（旅の方法はまかせるよ。その鞄を使ってもよいし、普通に電車を使っても構わない。今、蒼星石には、周囲の人たちから普通の大人の女性に見えるように、レンピカにカムフラージュの力を貸してあるからね。あ、そうそう。もし何かあったら、レンピカに伝えればいつでも駆けつけるから）
そう伝えると、パルファムはすう、と空に消えようとした。
「あ、待って」
蒼星石は慌てて声をかけた。
（なんだい）
「いつまで出かけてていいの？ それと、どこにまた集まるの？」
肝心なことを忘れていた。
（ああ、それはお好きにどうぞ。それに、再び集まる場所といったら一つしかないじゃないか）
ちょっと放り出されたような感覚になってびっくりする蒼星石。でも、すぐにその意味するところを察した。
それは蒼星石にとって一番気楽な条件だった。そして、集まるべき場所も判りきっていた。
「それじゃ、パルファムさん、また」
（ああ、呼び捨てで構わないよ。それよりも……うん。いい旅を）
「パルファムも気をつけて」
そして二人は分かれた。
寂しさと同時に、今まで味わったことのない開放感と、ちょっぴりの孤独。
それがアリスゲームからとりあえず離れ、元の世界でとらわれるものなく、自由の身になった蒼星石の偽らざる雑感であった。
とりあえず、目立つといけないので鞄は使わずに電車に乗ってみた。
切符の買い方と改札の通り方、そして電車に乗る時の要領は、あらかじめあちらの世界のパソコンで勉強しておいた。
幸い、こちらの世界とあちらの世界とでは、違いはなかった。
通勤時間帯から離れていたので、電車の車内は空いていた。
学生、どこかの奥さん、お年寄り、子連れのお母さん、勤め人らしき男性……蒼星石はチラチラと車内の人々を気づかれないように観察した。
そこから蒼星石は、連綿と続く日常生活を連想した。
車窓を流れていく密集した住宅や子ビルが、さらにその感を極めさせた。
次第にその密度が上がっていき、やがてそれはビルの群れに変わっていった。
この都市の中心に近づいたのだ。
（地方に行ってみようか）
蒼星石は売店で時刻表を購入すると、その身を待合いのベンチに一時的に落ち着かせると、どこに行こうか考えた。
結果、この国の首都であるこの都市の中央の駅から、西の方へ、それも裏街道を行く路線に乗ってみようと考えた。
切符を買う。大人一枚。
お金は、あちらの世界で庭師の仕事をしており、割と収入が良かったので充分に用意できた。
こちらの世界には、それを純金のアクセサリーに換えて持ってきていて、それを駅から出たところにあった店で換金してもらえた。
「ふう……この僕がこんなことをするようになるとはね。それにしても、水晶がいろいろと調べてくれたおかげだなぁ。水晶に感謝しなくっちゃ」
これらの方法は、密かに水晶に相談して、おしえてもらったものだった。
とはいっても、水晶もそういったことにはまるで知己がなかったので、いろいろ調べたり、人づてに聞いて教えてくれた。
何でもよく分からなかったところは、学校で星井という子に聞いて、その子がまた秋月さんという人に聞いて教えてもらったそうだ。
秋月さんという人はいろいろなことに詳しいらしく、助かったと水晶は言ってたっけ……と考えていたら。
「あ、いけない。もう電車が出てしまう」
あわてて蒼星石は発車ホームヘと向かった。
特急電車は空いていた。
指定された席に落ち着くと、しばらくして電車は動き出した。
今度はビルの群れから密集した街へと変わっていき……やがて、緑あふれる郊外へと車窓が変化していった。
裏街道の路線だけあって、トンネルが多い。
初めは珍しい窓外の景色を楽しんでいた蒼星石だったが、やがて心地よい睡魔が襲ってきて、少しの間だけ意識を失った。
はっ、と目覚めると、かなり山深い地方に達したらしく、電車は右に左にくねくねとうねりながら、隙を見て速度を上げたり下げたりしつつ、通過駅を通り過ぎたところだった。時計を見る。
（あと、１時間くらいかな）
夕方少し前にたどり着ける駅で降りて、今夜の宿を探す計画だった。
車内販売がやってきたので、コーヒーを頼む。
インスタントではない、ちゃんと豆から抽出したものだった。
本当はお茶が良かったのだが、あいにく缶かペットボトル入りのものしかなかった。
聞いた話だと、陶器製の入れ物に入った手淹れのお茶があったそうだが、今はなくなってしまったらしい。少しだけガッカリする。
コーヒーを口にしながら、いろいろと考えごとをする。
かつてのミーディアムとの再会、そしてあちらの世界のみんなのこと、そして雪華綺晶のこと。自分の妹とのふれ込みだが、どうも違和感を感じていた。
どちらにしても、彼女のためにアリスゲームは中断された。自分はアリスゲームそのものには興味が無く、むしろアリスゲームに対して忠実であること、真面目に参加することの方にこだわっていた。
故に暴走してしまったり、逆にアリスゲームを乱してしまう結果になってしまったのは反省している。そんな状態のアリスゲームを中断してくれたことについては、実は心の底で雪華綺晶に感謝すらしているところがある。
でも、それではお父様の気持ちを裏切ることになってしまう。
けれども、自分たちを置いてどこかへと姿を消してしまったお父様。そんなお父様に無理をしてまで忠誠を誓う必要があるのだろうか……それは、自分たちローゼンドールの深層意識に刻み込まれたものなのか、それとも、父親への恋慕から生じたわだかまりなのだろうか？
ローザミィスティカ……それが無ければ、「死ん」でしまう宿命と聞かされ、信じてきた。でも、あちらの世界ではローザミィスティカが無くとも、人の体を持って充分生きていける。
そりゃ、ドールとして誕生した初めのうちはそうだっただろう。
けれども、ものは永らえているうちに命が宿るといわれている。
自分たちのドールの体にも、そういう変化が訪れ始める頃だったのか……待てよ。
雪華綺晶はローザミィスティカを持っているのだろうか？
蒼星石の熟考は続いた。
そこで線路の状態が悪いところに差しかかったのか、ガタン、と車体が大きく揺れ、コーヒーの紙コップが傾きそうになった。
あわてて手で持ち直す。
ついでに一口すする。
もうほとんど残り少ない。
冷めてみれば、ちょっと煮詰まったコーヒーの味と判る。
それが妙に空席の目立つ、地方へと向かう特急電車の風情と相まって、旅情を醸し出していた。
山と山の間に広がる大きな平野の中に位置する中くらいの駅で降りると、蒼星石は宿を探すことにした。
田舎なのでかんたんに宿が見つかると思ったが、この駅に繋がる町ではビジネスホテルくらいしかなかった。
せっかく来たのに、温泉というものに入ってみたいと思っていた蒼星石は、町外れの小さな温泉宿を紹介された。
送迎の車で山間のくねくねした道をしばらく揺られていると、横は急峻な崖、反対側は木々に包まれた谷が続く景色から、急に立派な道に出た。まるで街中のようなその道を通り、立派な橋を渡ると６階建ての大きくもなく小さくもないビルの旅館に到着した。
玄関の脇の黒板に「歓迎 塊 様」とあった。自分のことらしい。
始めて触れる独特の文化に、ふうん……と蒼星石は思った。
最上階の、きれいな部屋だった。
南に面した１０畳の和風の部屋に、窓際に絨毯の間と応接セット。
聞いてはいたけれども、その和洋折衷さが蒼星石の目には目新しくうつった。
「お一人旅ですか？」
仲居が話しかけてきた。
「ええ」
「このあたりは何もないので、地元の人ばかりなんですよ」
そして、中央からやってきたのかと聞いてきた。
「はい」
「そうですか。どうですかこの宿は」
「そうですね、割と静かでいいですね」
「ありがとうございます。それではゆっくりしていってください」
大浴場の場所、食事の時間、フロントへの連絡先など、細かなことを説明しながら、お茶をいれ、挨拶を済ませると仲居は退室していった。
「ふう」
お茶をすすり、用意されていたお茶請けを食べる。
悪くない。
もともと西洋ドールだった蒼星石なので、すぐに窓際の応接セットに腰掛ける。
窓から大きな川と、そこに架かる橋、その向こうにある市街地、そしてその向こうに高い峰の山々が連なっていた。
しばらくぼーっとそれらを見つめていたが、楽しみにしていた温泉というものに入りたくなった。
蒼星石は慣れない浴衣をなんとか着ると、大浴場へ向かった。
「うわぁ」
大浴場は蒼星石の貸し切りだった。
槐家の風呂も平均よりは広い方だったが、やはり大浴場の広さには敵わない。
いつの間にか、レンピカも姿を現して興奮しているのか、せわしなく飛び回っている。蒼星石は水晶に教えられたとおりに体を軽く洗ってから、湯船に浸かった。
とはいえ、ドールの体なのであまり意味はない。
「ふうーっ……こりゃいいや」
普通なら、ドールの体で湯に浸かったら大変なことになるところだが、そこはローゼンドールなのでまったく問題なかった。
レンピカのカムフラージュのおかげで、球体関節のその体も普通の女性の体に見えるだけだ。といっても、他に誰もいないので心配は要らない。
何よりも、これだけ、なみなみと温泉があふれる巨大な浴槽に一人っきりでつかる快感。アリスゲームでのつらい思い出や苦労が、全て溶け出していくようだった。
「ああ……姉さんにもこれ、楽しんでもらいたいなぁ」
思わず独り言。いつかは姉の翠星石、そして真紅に雛苺、水銀燈……金糸雀、水晶や珠理、もしかしたら雪華綺晶たちと一緒にこうしてみんなで温泉に浸かれたらなぁ……そう思う翠星石であった。
その後、蒼星石は泡風呂を試し、露天風呂にも浸かり、一通り楽しんでから浴場を後にした。
夕食は別の間で取るようになっていた。
目の前に和風料理が並ぶ。
蒼星石は好き嫌いが少ない方なので、気にならなかった。
仲居さんが給仕をしてくれるので、ラクチンだ。
「ところで、そのお刺身、何だと思います？」
目の前に出された白身の魚の刺身について聞かれた。
「うーん。僕、あまり魚には詳しくなくて」
生魚といえばマグロとかブリとかいろいろ、水晶と一緒に食べたけど、正直種類まではよく知らない。
「変わった魚ですよ」
「じゃあ、ヒラメとか」
思いついた名前を答える。
「残念。ナマズなんですよ」
「へえーっ」
ナマズといえば、本で見たことがある。あの特異な外観の魚で、なんでも地震を起こすという迷信があると聞いている魚だ。
口に運んでみる。
「あ、おいしいですね」
コリコリしていて、生臭みもなく、旨味もある。さっぱりしていて、悪くない。
それから、一通り料理が出された。
中でも特に気に入ったのは、リンゴのグラタンだった。
この辺りはリンゴの特産地だそうで、それを活かした料理だった。
リンゴをくりぬいた中に、ホワイトソースが入れてあって、具は鶏肉を初めとして野菜とショートパスタが入っている。他にも、白身の魚も細かく切ったリンゴと一緒に入っていて、それをオーブンで焼いてあった。
不思議とリンゴの甘味がうまい具合に４味の一つになっていて、酸味も加わって食欲をそそった。
中身を食べ終わると、外側のリンゴも食べられるようになっていた。
これがちょうど良く火が通っていて、柔らかくて程よい芯があり、口に入れるととろけるようだった。
他の料理も美味しく、食べ過ぎかな？ と思いつつも、すべて平らげてしまった。
「ふう。ごちそうさま」
ちなみに、レンピカは食べ物は食べられないが、従うパートナーの味覚や感覚を感知できる。従って、レンピカも温泉、そして味覚を蒼星石の感覚を通して満喫していた。
まさに命の洗濯であった。
その夜、床について蒼星石は次はどこへ行こうか、と考えた。
ちょっと賑やかな商店街も見てみたいな、と思ったり、とびきり速い電車に乗ってみたいな、とも思った。
いろいろと考えているうちに、いつしか寝入ってしまった。
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