そして。
桜田家の居間では、事後報告会が行われていた。
巴とジュンの満点、そしてそれにわずかに届かなかった答案がローテーブルに広げられ、金糸雀の添削が行われていた。
「これは……もう少し。ここはこうやって解くと良いのかしら。あら?この問題、問題そのものが間違っているカシラ。ま、こんな程度かしらね。普通の中学のレベルでは」
別に金糸雀には悪意はないのだが、何となくムッ、としたジュン。程度の低い学校で悪かったな、と。
巴は、大人しく座ってそんな様子を傍観していた。
今回のジュンの驚異的な成績の伸びには、みつも金糸雀もおおむね満足している様子だった。
ジュンはやっと往年の勢いとペースを取り戻した感触。巴もそもそも優秀だったので、二人の高得点は当然の結果として皆に納得された。だが、これだけでは満足できない様子の二人。
みつも、添削に付き合い始める。答案に目を通すと、つぶやく。
「ふうん。そうか。ジュンジュンはここ、巴ちゃんはここ、がウィークポイントね……よぉし、テキストを修正するわ。今度は二人でワン・ツー満点よ」
「かしら」
なにやら怪しげなオーラを放ち始めたみつと金糸雀。それはまるで中学程度のペーパーテストなんぞ簡単に粉砕してみせるわ、と言いたげな勢いでもあった。
「あの……草笛さんに金糸雀ちゃん、カップケーキ焼けたわ。どうぞ」
そんな怪気炎を上げる二人に、のりが少し困ったような笑顔を浮かべながらお茶とお茶うけを運んできた。
「あ、どうもありがとう。うわー、美味しそう」
みつは感嘆の声を上げた。
洒落た籠に入ったカップケーキは、色とりどりのゼリーの粒を混ぜたものや、コーヒー味、チョコチップの入ったチョコ味、バニラクリームの入ったものと、バラエティに富んでいた。
ティーポットをテーブルに置くと、のりはティーカップセットを持ってこようとする。それを見て、巴は手伝います、と立った。
自然にみつと金糸雀も手伝う格好になって。台所の方が華やか、賑やかになる。
たった一人の男性、少年であるジュンだけがぽつねん、とソファーに残された形になった。妙な寂しさが襲ってくる。
「ふう」
ジュンは、密かにため息をついた。
(真紅がいてくれたら、なんて言うだろうな……)
それから期末テストにかけて、準備が始まった。
もちろん、ジュンと巴の弱点を加味した、改訂したみつと金糸雀のテキストによるものだった。
正直、初めはみつと金糸雀のテキストを馬鹿にしていたジュンであったが、実際にしっかりと巴とともに読解してみると、大変解りやすく、馴染みが無く受けいれにくい概念や考え方、そしてそこから生じる疑問について、的確なアドバイスと解説があった。
また、陥りやすい勘違いや、意地悪なテスト問題で想定される罠や仕掛けについても、周到に先回りし、ツボを押さえた絶妙な解説と対処法が記してあった。
……と、ジュンは始めてこのテキストの威力を認めた時のことを思い出していた。
巴は、初めから素直にテキストに従って勉強を始めていた。
「これなら、わたしにも参考になるわ」
仕方なく、ジュンも付き合ったが、じきに驚くことになった。
「うわ、この問題……え? 解ける。なんでだよ? 嘘みたい」
ジュンも、今まで正体の見えない複雑なものに見えた、巴からもらった過去のテスト問題のコピー、そして市販の参考書の想定問題が、まるでその姿を変えたように単純かつたやすいものに見え、実際にそれらは簡単に解け、いずれも正解だった。
このテキストには、みつが受験戦争で得たノウハウのほとんどと、金糸雀の理知の力が結集していたのだった。
期末テストの結果は、実にあっさりしたものだった。
ついに二人揃ってすべて満点、並んで学年トップに輝いた。
こうなると、もうジュンを疑ったり、馬鹿にするものはいなくなる。
それは担任の梅岡が教師としてのスタイルを変え、周囲ににらみをきかせ始めたことも無関係ではなかった。
ホームルームで、自分のクラスから学年トップが二人、しかもいずれもパーフェクトであったことを報告する時も、淡々としたものだった。
「どういうわけか、今回なんとすべて満点で学年トップが二人もこのクラスから出た。先生、ビックリだ。あんまり晒し者にするのはよかないから、誰かは言わない。だが、先生から言葉を贈ろう。おめでとう。よく頑張ったな」
以前なら実名を上げて教壇に立たせて、みんなで拍手、そしてひたすら褒めちぎっていたところだが、もうそういうのは「やめ」にすることに決めた梅岡だった。
するとクラスの雰囲気も変わって、ホームルームは静粛な、本来あるべき姿となっていた。クラス委員の巴も進行が楽になって、心なしか表情も穏やかになった。
そうなると、巴が実はとびきりの美少女であったことに、ようやく気づく男子も現れ始めていた。
そんな中、困惑した表情の少女が一人。
由奈である。
(何? この気持ち……桜田、くんのことが頭から離れない。なんで? わたし、なんか変よ。そう……この学年で一番の美少女のわたしが、一人の男子のことにこんなに気を取られるなんて)
確かにジュンと一時期付き合っていた時もあった。
それはあくまでもジュンの才能からジュンが得た世間の評価に対して、興味があっただけだった。
だから、ジュンがみんなの関心から外され、忘れられる頃にはどうでもよくなっていた。今度も、学年トップになったから?
(それは違うわ)
その時だった。
突然、由奈の心の中に誰かが「話しかけて」きた。
そして、その「声」ははっきりとしたイメージとなって心の中にそろりと、入り込んで来た。
「えっ?!」
今まで体験したことのない不思議な感覚に思わず小さく驚きの声を上げる。
それは、白いドレスに身を包んだお人形。
髪は薄桃色で、長い。
長い太ももまである編み上げブーツを履いている。
そして、顔が近づく。
右目は、棘の付いた枝を散らした純白の見事な薔薇。
(あなたは今、恋をしたのよ。そう。恋は乙女にとって最大の力の源。欲しい……あなたをわたしのミーディアムの一人に選んであげるわ)
雪華綺晶だった。
「キャア!」
心の中に薔薇の蔓が入り込んでくる。その衝撃に思わず立ち上がると、桑田は叫び、悶絶してしまい、そのまま教室の床に崩れ落ちた。
「どうしたんだろ? 今日の桑田」
学校の帰り道、ジュンが巴に何となしに話題を持ちかけた。
「そうね。わたしは教壇から見ていたけど、突然気分が悪くなったみたい。それから、急に立ち上がって……まるで何かを見てしまったみたいに」
「何か、って?」
ジュンは第六感で不穏な様子を感じ取っていた。
「それはわからない。ただ……雛苺たちをどこかに連れて行ってしまった何か、それなのかも」
既にジュンは、巴に薔薇乙女たちが雪華綺晶によって閉じこめられた経緯について話してあるし、晴れ着を縫い上げて渡す時、パルファムから知らされた、雛苺がどこかで無事に暮らしていることも巴に伝えてある。
「うん」
そのまま、二人は黙りこくってしまった。
せっかく学年トップになったものの、桑田の身に起こったことが二人の心を重くしていた。
テスト発表の日は答案も返されるので、事後発表会となる。
で、巴もジュンの家に寄ることになっていた。
「ただいまー」
ジュンの声に、とたとたとたと足音が応じる。
「ジュンくん、お帰りぃ。今日は、素敵なお客さんが来ているのよぉ」
「え?」
いそいそと居間から出てきて、玄関でジュンを妙にはしゃぎつつ迎える姉に戸惑いつつも、誰だろう? と思っていたら。
「ふふ……あ、いや、ゴホン。……やぁ。ジュン、それに巴。久しぶりだね」
続いて現れたのは、蒼星石だった。
「えっ?」
とっさにジュンは、靴を脱ぐのももどかしく上がると、居間に飛び込んだ。
そして、何かを探した後、あわてて二階に駆け上がる。
遠くからジュンの声が響く。
「真紅? 真紅、来ているのか? おい、出てこいよ」
「あー……」
のりがしまった、という顔になった。
「ジュンくーん、真紅ちゃんは今日は来ていないの。蒼星石ちゃんだけなのよー」
上のジュンに思い切って呼びかけた。
しばらくして、とぼとぼとジュンが階段を降りてきた。
「……そっかぁ」
いかにも残念そうなジュン。
「桜田くん」
そんなジュンに、巴が思いはかって声をかけた。
「あ……」
ほんのごくわずか、普通の人ならわからないくらいの短いあいだで、ちょっぴり寂しそうになる蒼星石にジュンは気づいた。
「わるい。蒼星石、よくきたな」
「うん。おじゃましてるよ」
クールな笑顔を見せる蒼星石であったが、実はいつも些細なことで傷つくところがあった。双子の姉である翠星石は気が弱く、人見知りするタイプであったが、そこはやはり双子の姉妹。心の根っこには、共通しているところがあった。
ただ、それをどう表に出すかどうかは、それぞれの性格によって決められ、表向きはまったく真逆に見える行動を取ってしまうこともある。
蒼星石のそんなところに気がついたのは、薔薇乙女たちがいなくなってからの巴、ジュン、そしてのりだった。
あの気むずかしいところや、独断的なところもそういうところから現れていたのだと知ると、三人はどうにも申し訳がない気分になった。もう少し、わかってあげられたら……と。でも、現実にはこういうケースはそこらに転がっており、今日でも誰かしらを苦しませ、またどこかで困った事態を引き起こしているのだ。
「えーと、とりあえずこれ、おみやげです」
蒼星石はくだんの温泉の近くで買ってきたリンゴジュースを始め、それから立ち寄った各地の名産品やお菓子をズラリとテーブルの上に並べ始めた。
なにしろ、鞄にはいくらでも詰め込めるし、旅行資金も必要充分以上に用意してきただけあって、思わずびっくりするような量の、各温泉地のおみやげが揃った。
「あらあらこんなにたくさん。蒼星石ちゃん、気を使わなくてもいいのよぉ」
ちょっぴり困ったやら嬉しそうに、のりが言った。
「いえ。いろいろ、お世話になりましたから」
「うーん、何もしていないのに。……そうだ。久しぶりに花丸ハンバーグ、食べていかない?」
「あ、いいんですか? それじゃ、ごちそうになります」
懐かしい味を思い出して、蒼星石は嬉しそうに好意に甘えることにした。
「たまたま今日は花丸ハンバーグの用意をしておいて良かったわ。材料もたっぷりあるしね。……ほんと。こんなに多くのお客さんなんて久しぶり」
「お客さん?」
蒼星石が、僕以外にもお客さんが来るのかな、と思った時。
呼び鈴が鳴った。
「はい」
台所の支度に忙しい、のりに変わってジュンがカメラ付きインターホンを見た。
みつと金糸雀だった。
「蒼星石、どこいってたのカシラ。わたし、独りぼっちで独りぼっちでもう……そりゃ、みっちゃんが付いてくれていたからつらくはなかったけどぉ、他のドールたちがいなくて寂しかったんだからぁ」
久しぶりの再会に、金糸雀は涙ぐみながら蒼星石を歓迎した。それは、みつも同じだった。実際、みつは金糸雀以外のドールたちに対しても、ミーディアムでないにせよ、憧れと愛情を抱いていたからだ。
聞かれて、蒼星石はあちらの世界でのことを話した。みんな無事でいること、あちらの世界では人間の体になって共同生活をしていること、もう一人のジュンがあちらの世界にいて、珠理という新しいドールがいること、そして薔薇水晶と槐も改心して、ドールショップを白崎と再開していること、最後に、あちらでも雪華綺晶が出没していること……を告げた。
「雪華綺晶が? あっちの世界に?」
ジュンが驚いたように言った。
「うん。だからもう、こっちの世界にはいないよ」
「それは一体誰が?」
ここで蒼星石はパルファムのことをいい出そうか、どうしようかと思った。
が、その心配は無用だった。
(初めまして。わたくし、精霊パルファムと申します)
その場にいた全員に、パルファムが念話で挨拶をした。
(突然ですみません。実は、ここで蒼星石と待ち合わせをする約束をしていたもので)
蒼星石と金糸雀を除き、呆然となる一同。念話というものを体験するのは初めてなので、仕方なかった。
(皆さん、念話は初めてですね。でも、安心して心を落ち着けて下さい。残念なことに、わたしは容易く姿を人前に出すのは、習性とされていないので、姿を見せないままと不躾ではありますが、こうして話をすることはできます)
「精霊……って?」
巴が疑問の声を上げた。
それにパルファムは念話でいろいろと答えた。それは、巴の抱いている疑問の一つ一つにていねいと回答が当てはめられていく、まるで自分自身が思い出したかのような錯覚を覚える、素早くもやさしい返事であった。念話ならではの便利さである。
「でも、わたしの前にはパルファムさん、姿を現したような?」
のりが思い出して言った。
(あれは……特別な事情がありまして。やむなく)
パルファムはそう答えたが、実はのりには珍しい、天然の精霊を視覚できる力が備わっていたのだった。だからこそ、パルファムはあのとき、のりの前に姿を現したのだ。
それから、テストの報告会が終わり、みんなで夕食となった。
今夜はみつは金糸雀もお呼ばれである。
「いただきまーす」
テーブルの上に全員、もちろんパルファムの分も並ぶ花丸ハンバーグ。
誰もいない席に置かれたライスとサラダとスープと花丸ハンバーグであったが、他のみんなが見ていない隙に、少しずつきれいに減っていった。
精霊はよくいわれるところの妖精同様、人の視野の死角をついて物事を行うのは最も得意としていた。ものを「食べる」ことは習慣ではないが、やろうと思えばできることであり、味覚も味わうことができるようすである。
「やっぱり、花丸ハンバーグは最高だなぁ……姉さんたち、それに妹も食べたがっていますよ」
久しぶりの味覚に舌鼓を打ちながら蒼星石がほめる。
「あら、ありがとう。確かにみんなに食べさせてあげたいけど……」
「もしよろしければ、わたしが運んであげることはできますが」
今度はパルファムは食事中ということもあり、「声」として聞こえるように念話を発した。
「そんなこともできるの?」
「ええ」
「そう。じゃあ、たくさん作るから、持って行って下さらない?」
「わかりました」
パルファムは了承した。
「でも、一日ではムリだから、少しずつ作って冷凍保存しなくっちゃ。蒼星石ちゃん、しばらくゆっくりしていけるかな」
「ええ。いいですよ。でも、お邪魔にならないですか」
「そんなのいいのよ。気にしないで」
というわけで、しばらく桜田家に蒼星石は滞在することとなった。
滞在する間、のりは花丸ハンバーグのタネの製作に取りかかった。
蒼星石は桜田家の庭の手入れをしつつ、老人宅をたまに訪れては時間を過ごした。
金糸雀はほとんど毎日遊びに来て、蒼星石と『くんくん探偵』を一緒に見ていた。
もちろん、真紅が向こうの世界へと行ってしまった後の回についても、DVD化されたものは購入したし、まだDVD化されていないものは、しっかりジュンが録画していてくれたので万全だった。
こちらの世界での記録媒体が、あちらでも読めるかどうか……心配ではあったが、それは後に杞憂となる。これは不思議なことであった。
夕食に、蒼星石は得意のスコッチエッグを作った。
これは大好評で、のりは蒼星石に作り方のコツを教えてもらい、のりのレパートリーがもう一つ増え、同じくそれはみつも教わってみつのレパートリーの一つになった。
また、ジュンは向こうの世界のジュンのことが気になっていた……といっても、それはソーイングの腕に関してだった。
それで、蒼星石は旅行用にと、あちらのジュンの作ってくれた服を見せた。
「これ? うーん、マジかよ、こんな……こんな縫い方ってできるのかよ。それにこのデザイン。地味でいながら、ちゃんと奇抜さと新しさも。このポイントなんかまるで……」
ジュンが大変驚いたと同時に、とても悔しそうなのが蒼星石にも伝わった。
(見せない方が……良かったかな)
少しだけ後悔する蒼星石であった。
やがて、のりのストックも充分な量になった。
ぷりぷりハートのオムライスも、ついでにたくさん作ってくれた。
桜田家の外国製の巨大なビルトイン冷蔵庫の冷凍室が満杯になるほどの量のそれは、難なく蒼星石の鞄の中のある空間……パルファムが作り出した、時間の動きが極めて遅くなった空間にしまい込まれた。
これなら時間と共に腐敗が進むことはない。
「それじゃ。大変お世話になりました」
「いいのよ、蒼星石ちゃん。今度はみんなも連れてきてねぇ……珠理ちゃんって子にも合ってみたいわあ」
お別れの日が来た。
のり、ジュン、巴、みつ、金糸雀、全員揃って見送りである。
「わたしも、ジュンドールに興味があるわぁ。どんな子なのかしら? 一度お迎えしたいわぁ」
「それじゃ、真紅……それと、もう一人のぼくによろしく」
「雛苺をよろしくね」
「ぐっす、またカナは一人になっちゃうのカシラぁ……約束よ。今度はみんなを連れてきてね。もうアリスゲームなんて言わないから」
「はい。みんなに伝えます。いずれ、他のみんなも来ることができると良いんだけど……金糸雀、距離は離れていても、みんなの心は繋がっているから安心して。また、来るから」
(それではみなさん、おいとましました。どちらにしても、わたしはもともとこちら側の樹民ですから、またお会いしましょう)
こうして互いに挨拶を交わすと、蒼星石はパルファム、レンピカ、スイドリーム、そして鞄いっぱいのおみやげと共に、帰路に付いた。
来た時と逆の道順だった。
そのすがら、今度はゆとりができてきた蒼星石は、ジュンたちから、どうも雪華綺晶が彼らのクラスメイトに干渉したらしいんだけど、という話をパルファムに話した。
それを聞いたパルファムは、思いもかけず積極的な反応を示した。
「それは本当かい? ちょっと待って。どれどれ……うーん……確かにその痕跡が。気がつかなかったなぁ。どうも、わたしが見つけたこのルート以外にも、二つの世界を繋ぐルートがあるとは。いやはや。驚きだ。これは帰ったら、調べなくては」
どうも、パルファムはどこにいても元の世界のことを調べることができるようであり、また、異世界へのルートを探り当てることに大変興味と意欲を持っているらしかった。
そうこうしているうちに、元の世界へと着いた。
帰り道は速いというが、その通りだった。
この回おわり
尚、今回このWebを参考にさせていただきました。
http://nomoto.air-nifty.com/blog/cat7096273/index.html
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