「はぁ……気が重いわね」
水銀燈は、パーラーを後にして、とある都市銀行の待合室でため息をついていた。
めぐは、そんな水銀燈を気にする様子もなく、キョロキョロと銀行の内部を見渡していた。
「ふーん、銀行ってこんなところなんだ。なんか、ちょっと重苦しいものを感じるわね」
感想を述べる。
「そりゃそうだわよ……お金というものには、人間の憎しみや悲しみ、醜さや欲望、その全てが詰まっているんだもの。そういうものを扱う場所だから、当然よぉ」
実は水銀燈とめぐは、この銀行にキャッシュカードを作りにやってきたのだった。
パーラーで水銀燈がめんどくさそうにしていたのは、この用事であった。
何でもセキュリティがどうのこうのとかで、水銀燈達が暮らしている街ではカードの発行ができないので、わざわざ指定された、この都会の大支店にやってきたのだ。
飲み物を飲み終えても、なかなかパーラーから出ようとしなかった水銀燈をなんとか引っ張り出しためぐは、水銀燈の手を取ると銀行まで引っ張ってきた。
「……それにしても、アンタ、心臓直ってから妙にたくましくなったんじゃなぁい？ あんまり無茶してると、熱でも出るわよまったく」
めぐの強引さに驚きつつも、呆れたように水銀燈が文句を言った。
「だって、水銀燈がグズってるんだもの。嫌なことはとっとと終わらせてしまった方がいいのよ」
「ふうん……めぐ、やっぱり熱でもあるんじゃないの？ そんなにポジティブなめぐなんて信じられなぁい」
肩をすくめる水銀燈。本当に変だわ、と心の中で思った。
「あの嫌な父親もここにはいないし。水銀燈とわたしだけ。それに、病気がないことがこんなに爽快だったなんて思ってもいなかったわ」
ああ、これは病み上がりの昂揚状態の一つね……水銀燈はそう思った。
今はいいけど、落ち着いたらどうなるか。そう考えると、少し不安になった。
「はあぁ……」
つい、またもため息をついてしまう水銀燈。
「あ、今、わたしたちの番号呼ばれたわよ」
待ち札の番号が電光表示板にアナウンスと共に出た。ようやく、水銀燈の番だった。
これでやっと、とりあえず帰ることができる……やれやれ、と思って、水銀燈は窓口に向かった。
そして、手続きが終わり、キャッシュカードと、通帳を受け取った。
早速確認すると、腰にしっかりとくくりつけてあるポーチにしまい込む。
その時だった。
水銀燈の、その隣の窓口で、なにやら揉め事らしき様子。
（何かしら？ ウルサイわね……）
と水銀燈が思った矢先。ぐい、と自分の手が乱暴に脇から引っ張られるのを感じた。
「ち、ちょっと何するのよ」
そう言わぬか言ったか刹那、男の二の腕が自分の顎にかかったのを感じた。
と、同時に。
「この女がどうなってもいいのか！ いいから金を出せ！」
と男が叫んだ。
銀行強盗のようだった。
「この……わたしに手を触れるなんて! ジャンクになりなさい！！」
電光石火の水銀燈の右肘が、男のみぞおちに深く食い込んだ。
たちどころに崩れ落ちる男。
「ふん」
さらに水銀燈は、汚らわしいものを相手にするごとく、脇腹にとどめの一撃。
この間、わずか数秒。
薔薇乙女たるもの、むくつけき男に触れられるなど以ての外なのだ。
それにしても……？
たちどころに、冷静なまなざしを取り戻した水銀燈は、何かしら不自然なものを感じた。それは……。
銀行強盗にしては、背広をきちっと着こなしたサラリーマン風だ。
その背広にしたって、靴にしても、安物ではない。
つまり、どう見ても銀行強盗をやる出で立ちではない。顔すら隠していない。
急激に水銀燈はある種の「不安」を感じた。これは、水銀燈がアリスゲームや厳しい、彷徨える野良乙女の体験の中で身につけた直感の一つだった。
（これは、何かある）
直ちに水銀燈は行動を起こしていた。
あわてて駆け寄ってきためぐの手を取ると「ここをすぐ出るわよ」と小声でささやき、そそくさと銀行から出ようとした。
「あ、お客様」
数人の行員が水銀燈達の行く手を塞ぎ、それを留めようとする。
「お待ち下さい。警察がやってくるまで……ご迷惑をおかけしたお礼もありますし」
「いいのよ、そんなこと。そこをどきなさぁい」
「そういうわけには」
なかなか解放してくれない。確かに、世間の理屈からしたら勝手に立ち去って良い状況ではないことは、分かっていた。でも、水銀燈はこの場所に留まることに危険な何かを感じ取っていた。
しかし。行員にまで暴力をふるうわけには行かない。さらに事をややこしくする。
「水銀燈……」
不安そうにつぶやくめぐ。
もしかしたら、これは自分の思い過ごしなのかもしれない、と水銀燈は思った。しかし、今まで自分を数え切れない危機から救ってくれたのは、この直感だった。
これは面倒なことに……と思い始めたと同時に、突然けたたましいベルの音が。同時に、天井のスプリンクラーから一気に放水が始まった。
騒然となる行内。
（今だ）
水銀燈はめぐの手を引っ張ると、突然の火災警報に気を取られた行員達の隙を突いて、銀行から飛び出した。
外では、突然鳴り響いた火災報知ベルの音に、何事か、と立ち止まって中の様子を伺う通行人が何人か。とにかく、早く姿を消さないと。辺りを見渡すが、何しろ慣れない都会の雑踏。どう逃がれて良いのか……。
「水銀燈、こっちよ。早く」
聞き慣れない声が、やや下の方から。
そこには、長髪の、大きな、黒い瞳を持つ目の少女が立っていた。
「あんた、誰？」
「とにかく。今は時間がないわ。わたしに付いてきて。ほら、後ろから追いかけてきたわ」
確かに、二人を追いかけて出てきた行員が、こちらを認めて向かってきているところだった。水銀燈は、その少女の瞳を少しの間、じっと見つめた。
「わかったわぁ。それじゃ、お願いするわ」
「うん。こっちこっち」
少女は、銀行の騒ぎに集まってくる野次馬の波にうまく逆らい乗って、素早く人混みをかき分けていく。水銀燈とめぐは、それに付いていくのが精一杯だった。
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