両腕が動くようになってから、わたしはお父さんに外に出るのを許された。
今までずっと家の中に閉じこもりきりだったから、初めて外に出たとき、めまいがした。
空が青くて広い。
空気が新しくて、いろいろなにおいを感じる。
「お外って、こんなに広くて、きれいだったのね」
わたしは、思いっきり息をすいこんだ。
初めは家のまわりを散歩するだけ。
やがて、散歩の範囲も広がっていって。
周りは畑があったり、病院があったり学校があったり。
田舎なのか、街なのかよくわからないところだと知った。
だけど便利で、小さな電車の通っている駅がすぐ近くにあって、便利なところ、らしい。そして何よりも空気がきれいだし、ゴミゴミしていないところが好き。
家も小さな一戸建てで、まわりの家と変わらない。
ただ、玄関に小さく「オモチャ修理・人形修理製作引き受けます 塊」と、かんばんが出ているだけ。
家の中に閉じこもっているときは、ぼうっ、としていて、それでいて何だか、それが当たり前のような……そう、まるで自分が人形さんのような気がしていた。
そして、それを受け入れようとしている自分がいた。 だんだん、言葉も少なくなって、考えることも止まって、そして……。
だけど、両腕が動くようになって、外に出て散歩をするようになってから、その考えは変わった。 (人間として生きるんだ……)
そんなふしぎな声が、わたしの中から生まれ始めた。
そして、言葉も湧き出るように。
なぜ? わたしは元から人間、なのに……。
「こんにちは」
お父さんと一緒に散歩をしながら、近所の人たちとすれ違い、挨拶をする。
この辺りは学校が多いから、自転車に乗った高校生の人達とも、よくすれ違う。
そのたびに、大抵の女の人はお父さんをジッと見つめたり、一瞬見たかと思うと、すぐ顔を赤くして目をそらす。
そうなると、わたしはいつも、なぜか機嫌が悪くなってしまう。 「どうしてかしら? みんな、お父さんを見る目が……」
わたしの質問に、お父さんは答える。 「うん……きっと、この金髪が珍しいんだろう。それに、水晶、君の美しさも」
「え? そんなこと無いよ、わたしこんな体だし……」
確かに、お父さんは娘のわたしが言うのも変だけど、ハンサム、っていうのかしら……だと思う。
だけど、わたしは。
「いや。君は誰にも負けない美しさを持っている。もっと自信を持つべきだよ。そうだ。少し、面白いことをしてみよう」
お父さんがそう言った。
今まで、わたしは鏡をほとんど見たことがなかった。
だって、髪はくすんだ銀色でしわくちゃ。目は黒くなくて変な黄緑色。
いつもお父さんに、清潔なものを着せて貰っているけど、よれよれになったパジャマ。顔色も悪くて、まるで壊れかかったお人形さんみたいだったから。
「今日は特別だ。水晶、君の本当の姿を見せてあげよう」
そういうと、お父さんはわたしの髪を慣れた手つきでとかし始めた。
そして、余分な髪を切って、まるで床屋さんみたい。
いつも、髪の手入れはして貰っていたけど、今日は本当に特別だった。
「お父さん、床屋さんもできるんだね。やっぱりお父さんって凄いわ」
「うん。人形の髪の手入れも繊細なものだからね。でも、水晶の髪が一番、僕にはかけがいのないものに思えるよ」
その言葉に、わたしは少し恥ずかしくなった。でも、そんな恥ずかしさと、髪を手入れして貰う心地よさとハサミの音に、わたしはウトウト、うたた寝してしまった。
「さあ。水晶。できたよ」
お父さんの声でハッ、と目ざめた。
そして、わたしの目の前にある鏡に映っていたのは……。
「わたし……これがわたし?」
そこには、初めて見る「わたし」がいた。
「うそみたい……」
髪はきれいにロングに揃えられ、頭には紫水晶の髪飾り。
瞳は……
「そう。薄いオリーブグリーンの瞳だよ。わたしは、この色が好きだ」
お父さんが、わたしの心を見透かしたようにいった。
瞳は惨めな濁った黄緑色でなくて、深みのある、澄んだオリーブグリーン。
それから、お父さんは服を着せてくれた。
紫色の、薔薇のつぼみのような形。胸には薔薇のアクセント。
そして、紫のブーツ。
「さあ。これで完成だ。これが……ば……いや、水晶。君の本当の姿だよ」
自分で言うのも変だけど、本当にきれい。まるで、人形さんのよう。
それは、自分自身が怖くなってしまうほどの美しさだった。
そう。まるで、作られたような……とつぜん、衝撃がわたしを包んだ。
(この姿、見覚えがある……!)
「すばらしい! やはり、君は……いや、待てよ! これは良くない!」
そういうと、お父さんは急に怖い顔になると、まるで何かに取り憑かれたように、胸、そしてブーツなどの薔薇のアクセントをむしり取った。
「お父さん……!」
はっ、と我に返ったお父さんは、むしり取った薔薇のアクセントを落とし、わたしを抱きすくめた。
「水晶、すまない」
わたしは、そんなお父さんが心の中だけで、また泣き始めたのに気づいた。
そんなお父さんの髪を、いつものように、わたしはなで続けた。
とても複雑な気持ちだった。
わたしは誰? どこから来たの? お父さんはどうして?
いろいろな疑問が、わたしの頭の中でぐるぐるまわりはじめた。
|