「わたしやお父様が、そんなものに惑わされていたなんて」
「ははは。いいですか？ 本当は、あなた達はローゼンの罠に嵌り込んだのですよ。それはよく考えてみれば判るはず」
「罠？」
「そもそも、薔薇乙女達に分け与えたローザミィスティカ、アリスのローザミィスティカの欠片をわざわざ、ローゼンが弟子達にも与えた理由が、弟子達を罠に掛ける第一歩だったのです。弟子達は師匠を超えなければならない。その為には、人形の善し悪しを決める基準で優れていなければいけない。それが、アリスゲームということになれば……それが、今回の戦いのきっかけであり、ローゼンの狙いだったのです」
確かに、お父様はいつかローゼンを超える、人形師になりたがっていた。
そして、わたしという満足のいくドールを作り上げると、ローザミィスティカを与え、このラプラスの魔の誘いに乗って……。
少し、怒りが込み上げてきた。
「確かに、罠に掛けた側から見たら、面白い出し物だったでしょうね。でも、そのせいで薔薇乙女の二体はローザミィスティカを失い、わたしとお父様は見知らぬこんな土地に……」
ラプラスの魔を責める言葉の途中で、ラプラスの魔は突然、ゲホ、と大量の血を吐いた。
か弱すぎる。
「どうして……あなたは不死身でしょうに」
「いえ。お嬢さん。わたしは、この世界では、ただの哀れな化け物人間なのですよ」
「この世界？」
わたしはいぶかしがった。
「ええ。あの戦いの終わりのあと、あなたとエンジュは、この世界に送り込まれたのです。そう。この世界は、薔薇乙女達とローゼンが宿業に苦しんでいる世界とは違うのですよ」
世界が違う？
「この世界は、真紅初め薔薇乙女達のいる世界とは、そもそも構造が違うのですよ。ｎのフィールドだとか、世界樹、そんな不確定で曖昧なものは無い世界。つまり、元の世界はグズグズの固まり損ないのゼリー。この世界は、より固まったゼリー。そんなものだと思って下さい」
しかし、良く意味がわからなかった。
「考えてもご覧なさい。私のような最低の皮肉ウサギが跳梁跋扈し、ｎのフィールドが林立し、世界樹が存在し、誰でも秘法を知れば不老不死、薔薇乙女達のような生物が存在を許され、夢とも現実とも曖昧な世界。そう、何でもあり。そんな好い加減な世界が良いもんですか」
「でも、それが世界だから」
ラプラスはニヤリ、と笑った。が、傷みのために顔をしかめる結果となった。
「もっと、安定した世界があるのです。全てが奇跡的かつ完璧に組み合わされ、唯物的な世界観を許容できる世界。その世界では、魔法も不思議なこともごくごく稀。いや、存在しないかも。でも、そうであるが故に、そこに生きる人々は見えないウサギの巣穴に迷い込むこともない。なまじ、妙な力を持たない、持てないことは、幸せなことでもあるのです」
遠く彼方をを見つめる目になり、ラプラスは続けた。
「その世界からもし私たちを見ることができたら、きっと空想の中、何かの物語の世界として見ることになるのかも……でも、さすがの私でもそこまでは判りかねます。もしかしたら、その世界でも人々の苦しみは絶えないのかも知れない」
「それは、パラレルワールドというものかしら……」並行世界。
それはわたしも聞いたことがある。
「そう……つまり、わたしとお父様は、薔薇乙女達の存在する世界から追放されたのね」
目を閉じ、少し、考え込んだあと、ラプラスは答えた。
「パラレルワールド……便利な、言葉ですな。追放……ドラマチックな言葉ですな。そういう認識もあり、でしょう。しかし、むしろ単一の世界を超えた輪廻と言った方が正しいでしょうな」
「輪廻……？」
「あなたとエンジュは、師匠の名を語り、薔薇乙女達を傷つけ、その命をもてあそぶという罪を犯したのです。だから、その罪を購うため、この世界に送られたのです。それが輪廻です」
罪……確かに。
わたしは黒い十字架を背負っていることをむざむざと思いだした。
それは重苦く、禍々しいものであり暗い。何よりもつらい。
「でも、あなたはエンジュと共に、その罪を認め、改めていくことを決意しました。それで、この世界に留まることが認められたのですよ」
「認め……って、誰が？」
「そればかりは、この私もそんな存在が在る、ことだけしか知りません。きっと、私たちの全てを超越した存在、なのかも知れません。あ、そうそう。あの「友彦」も、罪人の一人。私がこの世界に連れてくることが、私の償いの一つでもあったのです」
「あの男は、何をしたの？」
「それは……この場合、連れてきてしまった、私の口からは言えません。そういう決まりなのです。あの男は、最後まで悔い改めることはありませんでした。そして、次の「世界」へと送られました。そこがどんな「世界」なのか、私も知る由はありません……」
遠いところに来てしまった。もう戻れないのだ。わたしは悟った。
この世界で、お父様と生きていくしかないのだ。罪を背負って。
落胆した表情を見せた、わたしに気づいたラプラスは、言葉を繋いだ。
「この世界は良いところです。程々に不思議や魔法も許されています。それに、何よりも、この世界にはあなたのお父さんと同じく、ローゼンの弟子も何人かいますよ。
そして、彼、彼女らの「作品」、ローザミィスティカを得た、あなたと同じドールや、人間に転生したドール達と一緒にね。……ちなみに、ローザミィスティカは、魂でもあり、人形が人間になる術の一つでもあるのですが……
まぁ、それはそれとして、きっと、彼女たちはあなたの良い友になってくれるでしょう」
刹那、わたしの頭の中に記憶が閃いた。
友彦なる男に乱暴されそうになったとき、助けてくれた、きれいで大きな黒目と、ストレートの黒髪の女の子。
あの子は……。
「お気づきですか」
わたしの心を読んだかのように、ラプラスの魔がいった。
「あの娘も、あなたと同じ出生の経緯を持つ少女です。あの娘のマエストロは、輪廻によるものではなく、ローゼンの干渉と罠を知り、それを避けてこの世界に逃れてきた、賢明な人形師の一人なのです」
「また、会えるのかな」
「ええ。会えますよ。……ははは。そろそろ、もうわたしの償いも最後の仕上げを迎えるようですな」
そういうと、ラプラスの魔は再び吐血をした。
床に流れた血の量は半端ではなかった。わたしは、直感的にラプラスの魔の命が尽きようとしているのを悟った。でも。
「待って。今、手当をするからしっかりして」
せめて、少しなりとも手当ができれば。わたしは、救急箱を持ちに下の階へ降りようとした。
「お待ちなさい。あなたが悟ったとおり、私はもう命数が尽きます。後は、静かに見守っていてください」
わたしは、こくりと頷き、ラプラスの魔の手を取った。
そして、そのひどい汗をタオルでぬぐった。
「ありがとう……お幸せに」
かろうじて絞り出したような声で、ラプラスの魔は礼を言った。
そして、目を閉じ、ふう、と最後の吐息を漏らすと、そのまま全身から力が抜け、静かになって……それが最後だった。
途端、ラプラスの魔の人ウサギの姿は消え、代わりにその場に、哀れに傷つき、命絶えた白ウサギの体が横たわっていた。
「うっ。うううう……うう、ええっ、うえええっ、ううっ……」
わたしは、その白ウサギの亡骸を抱きしめ、泣いた。
理由は、ラプラスの魔に対する弔いもあったが、今までのことや、あまりにも呆気なく、ローゼンの罠に嵌ってしまったわたしたちのみじめさや、儚かったアリスへの夢……いろんなことがごったまぜになって、とにかく涙が止まらなかった。
|
