わたしがいた。
バラのつぼみをモチーフにした、薄いパープルの衣装とブーツを身にまとい、水晶の剣を携えたわたし。
わたしの体はすっかり元に戻った。
腕も平気だ。体のどこにも不自由なところはない。
わたしの体に辱めを加えた男を跳ね飛ばす。
怒りの勢いで、それはドス、と強かに壁に叩き付けられた。
「ぐえっ！ うわ、わわわわ……」
宙を舞い、空中に留まったまま、水晶の剣で軽く男のほおを切り裂くと、その剣先を無言で、男の喉笛に突きつける。
とたんに、男は失禁して床を無様に濡らした。
わたしは冷酷な眼差しで男の、黄ばんだ腐った色をして醜く潤んだ瞳を睨み付けた。
かすかに、すえたアルコールの匂い。
酒の力を借りなければ、このような凶行を行えないのか……。
怒りよりも、蔑み……そして憐れみが、わたしの心に湧いた。
「た、助けてください。命ばかりは……お願いです！ 死にたくない！ 嫌だ！！」
男は必死で助命をわたしに嘆願する。この変わり様。
わたしは迷った。なぜ、この様なことになったのか。
ただ、一つだけ判ったことがある。
暴力は、暴力しか呼ばない。それだけ。
わたしが残酷になったのも、アリスゲームの後遺症だったのか……。
空しかった。そして、胸が猛烈に痛んだ。強烈な自己嫌悪。
あの子猫や、虫達、そして人形にも、本当に済まないことをしてしまった。
そして、わたしの又従姉にあたる、薔薇乙女達にも。
悔いてももう遅い。これらのことは、わたしのこれからの人生において、背負うべき、黒い十字架の一つになるだろう。苦（にが）み、懺悔と共に。
その時、突然、後ろから拍手が聞こえた。
聞き覚えのある、けだるげな拍手。
「いや。お見事。さすがローゼンメイデンを殲滅したドール。見事に舞台に返り咲かれたようですな」
振り向くと、そこにはヘルパーの姿はなく、見覚えのある人物。
そう……ラプラスの魔が立っていた。
タキシードに身を包んだ、体は人間、顔はウサギの化け物。
そして、裏切り者。
どうやら、ラプラスの魔がヘルパーの正体だったようだ。
なんて事。それにすら気がつかなかったなんて……。
では、友彦と名乗るこの男は？
男は、腰が抜けたのか、動けないようだ。
わたしは男を放置して、道化ウサギと対峙し、睨み付けた。
「あなただけは許せない……」
しかし、ラプラスの魔は沈黙している。
「…………」
何を考えているのか、油断ならない。
わたしはラプラスの魔に攻撃を仕掛けようと、防御のことも考え、慎重に構えた。
が、そううまく行くものではない。
そもそも、ラプラスの魔は世界樹を司る、わたし達を超越した存在の、意識の一部が観念となってｎのフィールドを彷徨っている存在だ。
つまり、実体……体を持たない。
だから、誰も攻撃して物理的に傷つけたり、その命も奪うことはできない。
だが、ラプラスの魔はｎのフィールドでは理力を使って相手を攻撃できる。
無敵の存在だ。
白崎に化けたときは、固定したフィールド（つまり、ジュン達の生活している世界）でも生きていけるよう、専用の肉体を持っていて、それを使っていたのだ。
……これらは、お父さんに教えられた。
お父さんは、元々人形師ローゼンの親族にあたる。
だから、少なからずローゼンに近い才能と血を受け継いでいることになる。
その才能と身内であることからローゼンの弟子になり、技術のいくつかを継いだ。
そして、マイスターとして認められ、ごくわずかに残った、ローザミィスティカのほんの小さな欠片を一粒、与えられた……そう聞いている。
とにかく。
ここは捨て身の戦法しかなかった。
ラプラスの魔が実体を持たない存在なら、実体を持たせれば良いこと。
その方法が、わたしの知る限りでは一つだけある。
それは、わたしのローザミィスティカをラプラスの魔に転移させることだ。
細かい理屈はわからない。
ただ、ローザミィスティカのもつ大きな力の一つに、意識や観念の実体化がある。
それを使うのだ。
もちろん、ローザミィスティカを失ったわたしの意識はデュラックの海に還る。
後にはゼンマイで動く自動人形が残るだけ。
でも、その残ったゼンマイの力で、実体化したラプラスの魔と刺し違える。
……それが、わたしが奪った命や、倒してしまったローゼンメイデン達に対するせめてもの償い、そしてお父様とわたしの復讐を遂げる方法。
これ以上、考えている隙はなかった。やるなら一瞬。
わたしは、ラプラスの魔めがけて小細工無し。一気に飛び込んだ。
そう。ラプラスの魔に避ける時間を与えないくらい、最速のスピードで。
同時に、意識を開放する。
そしてローザミィスティカが、わたしの体から離れていく。
遠ざかる意識の片隅で、グン、と速度を上げ、途方もなく極限に、ゼロに近い一瞬でラプラスの魔に突っ込んでいくローザミィスティカを認めた。
そしてこのまま、わたしだった人形が構えた剣が、ラプラスの魔の胸を貫く……。
……バイバイ、わたしの命。
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