再び薔薇乙女達のアパート。
エンジンソーで草刈りをしているところに近づいた雛苺と、うっかり振り向いてしまった蒼星石。
「うわっ」
プロにしてはとんでもないミスだった。それでもなんとか刃先をそらし、エンジン停止ボタンを押してエンジンソーを止めた。と同時に、ドン、と何かに強く後方に突き飛ばされた。
「雛苺！」
それでも蒼星石はあわてて草刈機のバックルを外して起き上がると駆け寄った。
雛苺はその場に呆然と立ちつくしている。突然のことに自分の身に何が起こったのか理解できない様子であった。が、間一髪、危機を逃れたと知ると。
「うぇーん」その場で泣き始めた。
「ごめんよ。ごめんよ雛苺。怪我はないかい？」
見たところ、大丈夫のようだ。
それにしても。突き飛ばされたからすんでの所で雛苺の足を、雑草よろしく切断せずに済んだのだと、ホッと胸をなで下ろす。
でも、僕を突き飛ばしたものは……？
雛苺の向こうに、水銀燈が立っていた。
身構えて背中から羽を出して。それも白。あの夏の日、珠理を雪華綺晶から救った時に始めて見た白い羽。
そう。僕を突き飛ばしてくれたのは水銀燈。それも白い羽で。蒼星石は納得した。
驚いたのは他の乙女たちだった。
恐る恐る、オディールと共にそろりと現場にやってきためぐがこの状況を確認し、歓声を上げた。
「きゃーっ！ 水銀燈、かっこいい！ また白い羽で人助けね！ 素敵！」
そう叫ぶなり、水銀燈に抱きつく。
「ち、ちょっとめぐ。放しなさいよ。こ、こら」
最近、どうもめぐの様子がおかしい。
以前のミーディアムとしての関係以上の奇妙な何かを感じさせる怪しげな艶めかしさというか、例えるなら百合の花を連想させる……と水銀燈が背筋に寒いものを覚えたと同時に。もう一つの鋭い視線が自分を射止めているのを感じた。
「……水銀燈。あなた、その白い羽は？ もしかして、それは？」
さすが、かつてアリスゲームの中心にいた真紅である。ここに来て始めて見る白い水銀燈の羽に、アリスの匂いをハッキリと感じ取ったようだ。
「あ、いや、こ、コレは何でもないのよ、そう。ただちょっと羽が生え替わりで白くなっただけなのよぉ」
水銀燈にしては珍しく、取り乱した様子でごまかした。それでも理屈がちょっと弱い。羽の生え替わりなんて今まで真紅たちに説明したことも見られたこともない。
「そうなの。それじゃ仕方ないわね」
「え？ そ、そう。そぉなのよ。これは一時的なものだから。し、心配しないでぇ」
アリスにこだわっていたわりには、あっさりと引き下がる真紅に拍子抜けした水銀燈だったが、これでひとまず安心ね、とホッ、とした。
（でもぉ。このわたしがこんなに真紅たちに気を使うなんて。わたしも変わったものねぇ……）水銀燈はそう思った。
「羽の抜け替わりですか。まったく水銀燈も変わった羽をもってやがるです。でも雛苺が無事でよかったです。蒼星石、気をつけないとダメですよ。ヒヤリハットですぅ」
翠星石が蒼星石を叱った。
「うん。ゴメンね、水銀燈、それに雛苺、みんな。僕がうっかりしていたばっかりに」
「いいよ。雛も悪かったの。でも、助かってよかった。水銀燈、ありがと、なの」
ちょっと照れたようすを隠すように、水銀燈は礼に答えた。
「まったく。ガキんちょが突然飛び出したら危ないじゃないの。今度からは気をつけなさぁい。まったく」
ぽさ、とその手を雛苺の頭の上に優しく置きながら。
「はい。なの」
よかったぁ……蒼星石は心から事故がなかったことを神様に感謝した。そういえば、薔薇乙女たちは神を信じているのだろうか？ 少なくとも蒼星石は神に相当するものを心の中に秘めているようであった。
と同時に蒼星石は自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと不安になった。そう、水銀燈の白い羽の存在を、姉や真紅、雛苺に知られてしまうきっかけを作ってしまったことになる。これは大変なことをしてしまった。そう思った。
「あの、水銀燈？」
「なぁに」
「僕のせいであの、君が隠していた白い羽がみんなにわかってしまって。ごめん」
「別にわたしは隠してなんかいなかったわぁ」
それは嘘だ、と蒼星石はすぐに感じた。でも、水銀燈はわざと嘘をついている。僕が傷つかないように。そう確信した。
「そう。それならいいんだ。今日は本当にありがとう」
好意はそのまま受け取ることにした。でも、水銀燈は変わった。しみじみそう思う蒼星石であった。なぜだか少しだけ、寂しい気もした。
「あら？」
ふいに、水銀燈が注意を庭の片隅に集中させた。確かに、あの気配。
次いで、蒼星石も同じ気配を感じて。
気がつくと、みんなと一緒に庭に駆けつけたオディールが、その場でガタガタ震えている。この暑さなのに。
見ると庭の片隅に、萎れたように一輪の薔薇が。
そしてその薔薇から異様な気配が漂ってくる。
そう。
この気配は。
「まぁたあの白薔薇ジャンクね。そんなところでもったいぶってないで、とっとと出てきたらどうなのぉ？ なんなら、遊んであげるわよ」
咲き誇る季節の外れにあって、萎れた薔薇の花が雪華綺晶の顔になり、それはムクムクと大きくなってきた。
「お姉様。こんにちは。その羽はアリスの羽。だからわたしのもの。返して……」
いつもの薄ら笑いを浮かべながら雪華綺晶がいった。
「嫌よ。この羽がアリスのものだって証拠はどこにあるのかしらぁ？ 勝手に勘違いしているだけなんじゃないの、お馬鹿さん」
そう答えつつも、いつ、相手が攻めてきても大丈夫なように水銀燈は臨戦態勢に入っていた。
「水銀燈。ここは僕にまかせて」
次いで蒼星石がレンピカを剪定鋏に変えて構える。
その後ろに隠れて翠星石。
「お、お前。こんなところにも現れやがったですか。それにしてもあの薔薇。どこのどいつが植えやがったですか」
「いや。わ、わたし知らない！」
そう叫ぶと、オディールはこの場に居つづけられなくなったように、足早に家の中へと逃げ込む。
「待って」
それを追いかけるめぐ。めぐは判っていた。オディールが昨晩、まるで夢遊病にかかったかのように、どこからか持ってきた薔薇の鉢植えを庭に植え替えているのを目撃していた。もちろん、めぐはオディールを責める気はなかった。
ただ、一人にしておくのは何か恐ろしいことを招いてしまうような予感を感じていたのだ。
「雛苺、ここは危険だわ。翠星石。あなたもよ。はやく家の中へ避難して」
そういいながら真紅は二人を連れて、家の中へ。そして、
「二人はじっとしていて。オディールとめぐのことは……二人に任せておくべきだわ。わたしは、戦うわ」
「真紅。ムチャです」
「いいの。わたしはアリスゲームの後始末を付けなくては」
そういうと、真紅はずい、と決意を伴って前へと進み出る。
「いいこと、雪華綺晶。あなたの好きにはさせないわ」
雪華綺晶は顔だけの姿から、既に全身を現していた。
こうして、雪華綺晶と最凶薔薇乙女水銀燈、鋭い剪定鋏の庭師蒼星石、そして薔薇乙女中最も実力派とされる真紅の対決が始まった。
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