気がつくと、蒼星石は見知らぬところにいた。
それは暗く、廃墟の街であった。
それにしても、廃墟にしては妙に古くさく、今から数百年くらい前の西洋の町並みであったようだ。
もともと西洋ドールであるだけに、等間隔に縦長の窓を持つそれらの建屋には違和感を感じはしなかった。だが、妙な不自然さを感じたのも事実だった。
それはそう、朽ち果てているとはいえ街なみの建屋のデザインが整いすぎている。すなわち、よくある映画というもののセットというものに似ているような。とにかく、蒼星石が今まで過去に接してきた、街そのものが持つ雑然さや不調和な部分が少なすぎる。
それに、寒い。
「ふう。このままじゃ凍えてしまう。夏なのに？ どうして？ ここは一体！？」
とおきまりのセリフをつぶやくと、蒼星石は少しでも体を温め、この世界の様子を探ってみようと歩き出した。恐らく、誰がこの世界に降り立ったとしても、そうせざるを得なかっただろう。
しばらく歩いているうちに、壊れた建物のガラの中に何体かの壊れた人形が散乱しているのを見かけた。
（人形……そういえば、僕はドールだったっけ。ジャンク（壊れた）のお人形かぁ）
もし蒼星石が人間の体を得てしばらく生活していなかったら、それは大変な恐怖の対象として目にうつったことだろう。
だが、今の蒼星石にとり、それらは壊れてしまった「もの」として感じる印象が強かった。それにしても、やはり見ていて気持ちの良いものでもなく、なるべく無視して歩くことにした。
見たくないので、自然とうつむき加減に歩くことになる。それに何しろ、石畳の道路はガラだらけで、ついうっかりするとつまづいて転んでしまいそうになる。
足下に自然に注意が集まる。気がつくと、ドール時代の蒼い服を着ていることに不意に気がつく。
おや？
この世界はもしかして？
試しに手の肘を触って確かめると、人間の柔らかく肉付いた、中に骨が通った体だと確認できた。
「人間の体のままか。ここは夢？ そういえば翠星石と久しぶりに一緒に床について」
姉の暖かく柔らかな感触が蘇る。そして、それに至った経緯がふと、思い出された。
「僕が起こしたミスがそもそもの始まりだったんけれど……久しぶりに姉さんと一緒に。僕がどうしようもなく寂しかった時、あえてタブーを犯して一緒のカバンで眠ってくれた時もあったっけ……」
懐かしく昔を思い出す。改めて僕たちは姉妹なのだなぁ、と再認識する。
「それにしても？ 水銀燈があそこまで雛苺をかばうなんて。水銀燈も変わったなぁ」
といいつつ、自分自身の変化についてはあまり気がついていない蒼星石であったのだが、とりあえず話を進めよう。
「水銀燈。そういえば水銀燈のｎのフィールドって、確か真紅から聞いた話だと？」
歩き始めて体も温まり、歩き方もコツを覚えてきて、蒼星石はこの街のはずれがどうなっているのか、持ち前の好奇心で知りたくなった。
「ここは夢なのだろうね。たぶん。僕は翠星石と共に眠ってしまったから。でも、眠りは僕たちにとって、特別な意味を持つ。用心しなくっちゃ」
慎重さを口に出しては見たが、この先に何があるのか、それにもしかしてここは水銀燈の……そう思うとつい好奇心から足早になった。そして、とある石につまづいてしまって。
「あっ」「あいたた」
転んでしまった。でも、庭師の仕事で転んだりつまづきそうになるのは慣れているので、うまく受け身を使って怪我はない。
「ふう」
起き上がった眼差しの先に続く、暗くて陰湿で寒い道の向こうに明るさが。
「あれは？」
今度は転ばないように蒼星石は歩みを早めた。明るさは光となり、やがて空を覆っていた暗く重い雲も薄くなり、切れ切れになって、そして。
「あっ」
蒼星石が驚きの声を上げるだけのものが街外れにあった。
目前に「白」が広がっていた。
「ええっ」
さらに近づくと、ある境界から突然全て「白」い世界が広がっていた。
無垢？ それとも虚無？ と同時に蠱惑を強く感じた。この白い空間ってもしかしたら。
９秒前の白？ この世界にも！？
思い切って、境界から中に足を踏み入れる。
もちろん危険と恐怖はあったが、好奇心、いや、それ以上に蒼星石の魂の根本から求めるものがそれらに勝った。
白に包まれる蒼星石。あてどもなく歩き始める。まっすぐ進んでいくうちに、どこをどう歩いているのか見当が付かなくなり、突然心臓をわしづかみにされる恐怖が襲ってきた。それはまるで自分を待ち伏せていたかのように突然、脳裏に現れた。
思わず背後を振り向く。
そこには、もう「白」しか存在しなかった。
蒼星石はこの白の世界に閉じこめられた、そう思った。
「うわあぁぁぁぁ」
叫ぶと、今まで自分が歩いてきたとおぼしき方向に振り返って走り始めた。
「はぁ。はぁ。はぁ」けれどもこんな目印のない世界では方向などわかるものではない。しばらく走ったが、その行動が全く無駄な消耗であることに気づくと、肩を忙しく上下させて息をしつつ立ち止まった。
白い空間は圧倒的な閉塞感と窒息を叩き付けてくる。途方もない絶望に包まれそうになってくるのをかろうじて抑えた。
「ど、どうしよう」途方に暮れる蒼星石。
と、そこへ懐かしく鼻をくすぐる香りが。
「これは……紅茶？」
まったく非日常で暴力にすら思えてくるこの空間でそれは、自分のもといた世界を思い起こさせてくれる安堵の芳しい香りであった。
その香りに導かれるように、目を閉じて香りを頼りにそれが強くなる方向を探して歩き始める。もうこうなったら勘が頼りだ。
やがて、紅茶の香りに伴って上質の牛乳の香りと柑橘系ジャムの芳香が感じ取れるようになり、それは徐々に強くなっていった。
と、同時に蒼星石の耳に懐かしい声が。
「何をしているのかしらぁ？ 鬼ごっこ？ 目を開けてもいいわよ。蒼星石」
「す、水銀燈！？」
その声に驚いて、突然まなこを見開いてしまったために、まばゆい白い光に眩んでしまった。
その光の海の中。
小さな丸いテーブルを前に、三つの質素な木製の丸椅子の一つに座り、紅茶を楽しんでいる水銀燈が浮かんで見えた。ドール時代の黒い衣装を身にまとっている。
「急に目を開けると潰れるわよ。少し目を慣らしたら？ 誰かが訪れたかと思えば、まさかあなたとはね……わたしのｎのフィールド……本当にそうなのかはわからないけど、にようこそ。お茶でも飲んでいかなぁい？」
水銀燈は空いている椅子を勧めた。
あっけにとられる蒼星石であった。
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