「お姉様たち、許せませんわ。このわたくし、雪華綺晶をあっさり無視なさるなんて。こうなったら、少しお仕置きが必要ですわね」
いつもの棒読み調であったが、そこには少し悔しさがにじみ出ているのを隠せなかった。それは今までの感情をあらわにしない雪華綺晶には珍しいことだった。
だが、水銀燈と真紅は相も変わらず口喧嘩の最中だった。
「……どちらにせよ、そんな羽が生えたからってアリスだなんて、私は認めないわ」
「別にあなたに認めてもらおうがどうしようが関係ないじゃなぁい。ああ、わたしもいよいよお父様に、直に会える日が近づいてきたのねぇ」
これ見よがしにうっとりと、祈るように両手を組み合わせて夢見がちな少女のように浮かれる水銀燈。よく聞けば、言葉の中で「直に」という部分だけは妙に強調しているようであった。しかし、それに気がつかないまま真紅は激昂した。
「うるさいわね！ そもそもあなたは……」
もはや二人とも、雪華綺晶のことなど、どうでもいい状態だった。
なぜか、今まで空っぽだった心の中に不思議な感じを覚える雪華綺晶。
焦り？ 羞恥心？ 怒り？
わけが分からなくなって。
どうしていいのか判らなくなり……やけっぱちで自分の姉二人、そして傍らの養分の元……そのようにしか、雪華綺晶は各ドール達のミーディアムを認識していなかった。を実力行使で排除しようと考えた。
そして、無言で最高の力を込めて鋼よりも硬く鋭い薔薇の蔓をこの三人にお見舞いしようとした。
途端。
「えいっ」
いつの間にか庭に出てきていた雛苺が、雪華綺晶の元になっていた薔薇をあっさりと引き抜いてしまった。
あっ、という間もなく、雪華綺晶はこの世界への出口を閉じられ、その場から消滅した。後には高く昇った太陽からのぎらつく日差しが残っているだけだった。
「ふう。これでおしまい。フンだ、雛苺の体を食べちゃった罰よ」
ぱんぱん、と一仕事終えたように手を払う。本当なら、雪華綺晶の薔薇は猛毒の棘と腐食性の樹液を持っていて、並の人間なら手を触れることもかなわないはずだったのが、雛苺は何ともないようだった。
＊
舞台は突然、元の世界。中学生のジュンの世界へ。
この朝、ジュンはのりに起こされてようやく目を覚ました。昨晩、いつもの受験勉強の後、つい趣味の裁縫の本に夢中になってしまい、就寝が真夜中になってしまったので、寝坊してしまったのだ。
「うわ。もうこんな時間。遅刻しちゃう。それじゃ、行ってきます」
あたふたと出かけの支度を済ませて、朝食抜きで出かけようとする弟に、姉ののりは簡単で手っ取り早いサンドイッチ、トーストに野菜とベーコン＋フライパンで焼き黄身固めた目玉焼き＋それにケチャップとマヨネーズ＋マスタード少々、を挟んだものを二つ、ペーパータオルにくるんで手渡した。
見た目は悪いが、下手なナプキンより、吸水容量があるので手が汚れにくく都合がよいのだ。
中身がこぼれないように、縁をぎゅっと固めてある。
「お行儀悪いけど、これを食べてって。ジュン君。あ、走っちゃダメよ。脇腹痛くなるから」
「ふぁい。行ってきまーす」
いつもの姉のお節介だったが、もうジュンは捻くれたセリフを返すことはない。家の門を抜け、のりの目が届かない距離までゆっくりと歩いて離れると、サンドイッチを咥え、猛然とダッシュした。
「ふわぁ。ふこく、モグモグ、ふこくたよ」
必死で学校めがけて爆走するジュン。
周囲の目なんか気にしていられない。サンドイッチの味も分からない。
学校に通じるいくつもの角を曲がり、あと少しに迫った角を曲がりしな。
ドスン！
何かにぶつかった。
思わず転倒。でも、妙に柔らかいものにぶつかったような。それに……。
「はっ」
気がつくと、ジュンはぶつかりしなに相手の体を守ろうとして、つい軽く押し倒してしまっていた。サンドイッチは死守して、くわえたまま。しかも、その相手の上に乗っかって。手は、相手の背中。そして、空いたもう一つの手は。
「きゃあっ」
その相手の胸にかかってた。
小さく驚いたようにつぶやく、月並みだが……まさに鈴を転がしたようなかわいい声。ぽよん、くにゃりと柔らかい、つかみでのある感覚。それは。
「あわわわ」
クラスメイトの桑田由奈の胸であった。
何ともいえない、心地よい手応えが伝わる。
「ああんっ」
軽く身もだえ？ する由奈。
度肝を抜かれて、手を放し、サンドイッチを掴んで誤る。
「ご、ごめん」
なぜかかあっ、と頭に血が上ってきた。心臓がドキドキと鼓動する。それでもなんとか起き上がり「おい、大丈夫か？」と、由奈の手を掴んで引き上げようとするが、その暖かく小さく、柔らかい手の感触、そしてふわりとした甘い少女の香りと少し荒らいだ吐息に、つい思わず手を放して。
「あっ」小さくつぶやくと、バランスを崩した由奈は路上に尻餅をついてしまった。
「あ、あ痛ぁ」
「あ……」
しまったと思ったジュンの視界に飛び込んできたのは、グリーンストライプの由奈のパンツ、世間でシマパンと呼ばれているモノであった。しかも、中学生にしては、というか、学校にはいてくるものにしては、妙にビキニな、つまり布面積が少なめのパンティ、と呼んだ方がいい代物だった。
しかも、なぜか白のサイハイソックスをはいていた。心なしか、スカートも短めのような。それに軽く股を開いて……って、なに見ているんだ俺、とジュンは我に返り、そっぽを向くと咳払いをした。
ジュンとしては、あまり好きなコーディネートでは無かった。
「きゃあんっ。桜田君ったら。もう、エッチね」
見られてしまったというか、どうも見せているようなフシのあった由奈は、ゆっくりとジュンの視線を意識しているかのように、そのしなやかで肉付きの良いふっくらとした両足を、可愛い仕草で閉じた。
「ね、桜田君……起こしてくれる？」
「じ、自分で起きろよ」
「でも、由奈の手を放したのは桜田君だよ？」
意地悪っぽい目でじっとジュンを見つめる由奈。
「ほらよ」
仕方なく、わざとつっけんどんに、手をさしだすジュン。
気がつくと、もう既にタイムリミットは過ぎていた。それでもまだ開けられたままの校門が目に入った。セミがうるさく鳴いている。夏の暑い盛り。けれど、後ろめたさやら、恥ずかしさやらでジュンは暑さを忘れていた。
それよりも、うきうきとスキップでもしかねない様子で後ろからついて･･････いや、くっついてくる由奈のことが気になっていた。
ジュンのもう一つのサンドイッチは半分、「あっ。桜田君おいしそう。わたし、朝食抜きなんだ。半分、もらえるとうれしいなっ」由奈に取られてしまっていた。
（どうしたんだろ、桑田のやつ？ この暑さで頭でもやられたのか……？）
確かに頭のおかしくなった女子中学生に見えないこともない仕草であったけど、何しろとびきりの美少女である。サマになっている。逆にそれが恐ろしく感じられるほどであった。
一度は恋心を抱いた相手ではあったが、もう気持ちの整理は付いていた。
正直、いまさら何だよ、といった気持ち。
（こんなところ、柏葉にでも見られたりしたら……）
なぜだか、巴のことが気にかかるジュン。別に幼なじみだからどうってことはないのだけれど、なぜか妙な罪悪感めいたものを感じ始める。
「桜田くん」
「うわっ」
いきなり、その当人に声をかけられたものだからビックリである。
「な、何だよ柏葉。お、お前も遅刻か？」
つい、声が震えがちになり、落ち着かなくなって。
「ううん。違うわ。今日はわたし、風紀当番の日だから」
そうだった。学校ではたまに遅刻する学生や服装などが乱れた学生を取り締まるために朝の登校時間に、順番に決められた生徒と先生が一緒になって校門で見張りをしていたのだった。まさに今日はその日だった。
「夏休みを間近に控えて、気のゆるみが出てくるからって、きょう校門にみんな立つって、この前教えたじゃない」
いつものように、世話焼きの幼なじみ振りを発揮してジュンに小言をいう巴。
「そ、そうだったっけ」
そんな二人のやり取りを後ろで見ていた由奈は、いきなりしおらしくなると生活指導担当の教師の一人にすり寄るように近づいてこういった。
「先生、すみません！ わたし……学校に来る途中で転んでしまって、それで通りかかった桜田君に助けて貰ったんです。だから、桜田君は悪くありません。責めるなら、わたしを罰して下さい！ 先生！」
本来なら、由奈がニーソをはいてきたりとか、スカートの丈が基準より少し短くなっているやらで、由奈も立派な校則違反者なのであるが、さすがは巴と双璧を成す優等生だけあって、思わず教師もコロッと。
「ま、まぁいい。今後は気をつけるようにね」
そういいつつも、由奈の中学生離れした美しさと、エロ可愛いニーソにチラチラと目を奪われつつ、生活指導担当教師は由奈を無罪放免とした。
「ありがとうございます……先生！ さぁ、桜田君、行きましょ」
すんなりとそういうなり、強引に巴と話しているジュンの手を掴んで、スタスタとその小さくかわいらしい体からは想像も付かない強引さと力で、ジュンを巴から引きはがし、校舎へと連れて行くのであった。
後に残された巴は、どうにも納得できない気持ちを抱えながら、そこに立ちつくすだけだった。
|
