一面、白で覆い尽くされた世界でお茶を飲む水銀燈。
そういえば……羽を出したままだ。やはり、白い。
ドール時代の衣装であったが、これもやはり、逆十字が正十字になっていた。しかも、いかにも切り裂かれたアバンギャルドな雰囲気のあったその衣装は、いくぶん柔らかみが足されて、微妙なバランスを醸し出していた。
そんな感じが妙に似合っていた。
けれども水銀燈は、自分の姿をまじまじと見つめる蒼星石に、半ば自虐的にいい捨てるようにいった。
「うふふっ。これほどアンバランスで醜い見せ物はないかしらね。それにしても蒼星石。あなたは始めてね。わたしのフィールドにやってくるのは」
以前、訪れたような記憶があるのかないのか。
蒼星石には、その点正直、曖昧であった。
「そして、この白い世界は、わたしにこの羽が備わってから、できた世界なのよぉ」
そうか、ここはやはり水銀燈のフィールドだったんだ、たぶん、正確には元の世界の「ｎの」フィールドではないだろう。けれども、ここは水銀燈の夢の世界なのだろうな、そう思った。
「ま、お茶でも飲みなさいな。もうじき、もう一人のお客さんもやってくると思うわ。たぶんね」
水銀燈は蒼星石を空いている椅子に誘った。アリスゲームの頃だったら……なにかの罠と勘ぐりつつ、相手は敵なので馴れ合うのは性に合わない……ことから、キッパリと断るところだったが、今はずいぶんと状況も変わってきている。
素直に薦められるまま、椅子についた。
水銀燈がお茶の支度を始め、テーブルに置かれた白いクロスの山をめくると、銀の盆に積まれたティーカップが現れた。それは見事なジャスパーブラックだった。
「わたしのは誰かさんのと違って温いけどぉ。お口に合うかしら？ ミルクとジャムは好きにすればいいわ」
素っ気ないようでいて、ゆっくりとていねいに相手を気遣った仕草でカップに紅茶を注ぐ。それはまるでかつて真紅が自分に紅茶を注いでくれる時に感じた暖かさというか。
どうにも水銀燈らしからぬものを、くすぐったく感じた。
適度にミルクとジャムを拝領して混ぜると、一口。
飲みやすい温度に冷まされた紅茶はまだその芳香をたっぷりと保っていて、新鮮なミルクと上等なジャムの柔らかく甘い風味と合わさって、口元から鼻腔へすう、と爽やかな空気が吹き抜けていく。
「おいしい」
思わず感嘆の声を上げる。
「ありがと。紅茶は淹れる時はなるべく熱く、それでいてたっぷり空気を含んだお湯でないとダメなのよぉ。でも、飲む時は別。少し熱いか、ちょっと温めの方がおいしいんだから。でも真紅ったらそれを認めたがらないのよねぇ」
そういえば、真紅の勧めるお茶はいつも熱い。
それはそれで強い芳香とまさに紅茶を味わっているという心地よい緊張感と相まって美味しいのだが、いま自分が楽しんでいるお茶とはちがう楽しみ方だった。
それにしても。
（うーん、本来なら、真紅が温めのお茶、そして水銀燈がヤケドしそうに熱いお茶を淹れてくれるものだって感覚があるけど。それと、やっぱり水銀燈は真紅を未だに意識しているんだなぁ……）
そう思うと、ちょっぴり何だか寂しい気持ちになるのを覚えた。
もちろん、アリスゲームの時代の蒼星石はそんなことは意識の表層では微塵も感じなかっただろうが。
しばらく二人でお茶を楽しむ。不思議なことに、この穏やかになった長姉である水銀燈と一緒にいると、この奇妙な空間でもそんなに悪くない、と思えてくる。
ふいに、その姉が話しかけてくる。
「ねえ？ この国の古いことわざで画竜点睛を欠く、ってのを知ってる？ 今のわたしがまさにそれ。この羽、何に見える？」
「もしかして……翠星石もいってたけど、アリス？」
「そう、あなたもそう思うの？ 翠星石もああでいて、結構カンが鋭いのよねぇ……まぁ、わたしもそんな気がしているわ。でも、他の部分は今まで通り。なぁんて皮肉なんでしょうねぇ」
「呼んだですか」
突然、言葉と共に表れた翠星石。さしもの水銀燈も、ごくわずかだけど、驚いたみたいだ･･････蒼星石はそう思った。
「いきなり現れるからビックリするじゃなぁい。ようやくご到着、といったところね、翠星石。あなたも一杯、いかが？」
「いただくです」
素直に残りの空いた椅子につく翠星石。
すぐに水銀燈はお茶の追加を用意した。
「お飲みなさぁい」
「ありがとです」
礼をいうと、翠星石は何も入れない状態のプレーンなお茶を一口。
「うん。まぁまぁですぅ。ところで……失礼！」
そういうなり突然、水銀燈の背中の白い羽を一本、素早く抜くと、自分のティーカップの中に入れた。
「あっ」
突然のことに、ただびっくりする水銀燈。蒼星石もである。
白い羽は翠星石のティーカップの中ですっ、と速やかに紅茶に溶けてしまった。
すると、得も言われぬ芳香が辺りに立ちこめ、紅茶の持つ琥珀色がより澄み切った、この世のものとは思えない深く、どこまでも鮮やかなものへと染め上がった。
そして、それを一口。
「んー。思った通りですぅ。こんなに美味とは。驚きですぅ」
「ええっ？」
突然の珍事に思わず水銀燈と蒼星石が一緒に声を上げた。
「ど、どういうこと？ 翠星石？」
「そうよ。か、勝手にわたしのアリスの羽をむしり取ってあなた、そんなことぉ、許さないんだからぁ……」
そんな二人を落ち着いた仕草で、まぁまぁと手でさえぎるといった。
「水銀燈に蒼星石。落ち着くですよ。コレには理由があるですぅ」
「理由？」
「ええ。二人とも、アリスの体が何でできているか、考えたことあるですか？」
そういうと、こほん、と軽く咳払いをして、翠星石は語り始めた。
「実は雛苺が雪華綺晶に「食べられ」てしまったことについて、翠星石なりに考えてみたですよ。初めは雪華綺晶のいやがらせ、つまり、翠星石達をビビらせるための悪食かと思ったですぅ。でも、よくよく考えてみると、アリスは究極の少女です。雛苺もその性質を受け継いでいるです。と、なると」
「どういうことぉ？」
「究極の少女には欠かせないことが一つ、あるですぅ。それは、香りと、味覚的なことです。つまりです」
そこで翠星石は大切なことをいう準備として、こくり、と一口、紅茶を口にした。
「つまり？」もどかしそうに蒼星石。
ちょっと意地悪そうに、にこりと微笑んでから翠星石はいった。
「アリスは食べようと思えば食べられる、ということです」
「はぁ？」
水銀燈が疑いの声を上げた。あまりにも突拍子なことなので、しかたがない。
あまりにも大声だったので、翠星石はちょっと驚いてしまった。
「い、いいかたが悪かったですぅ。解釈の方向は色々とあると思うのですが、もともと究極の美少女は甘い砂糖菓子の香りがするものだと、よくいわれているです。となると、その体も砂糖菓子、いえ、それすら超えた、究極のスイーツである可能性が高い、といいたいのですよ」
すかさず蒼星石が疑問をぶつける。
「でも、それでは誰かに食べられてしまう危険……いや、そんなことは究極かつ絶対のアリスにはあり得ないし、そんなに脆弱な体を持つなんてことは」
「そこです。だからアリスにとってそのことは絶対の秘密ですし、もしそれが明らかになったとしても、かんたんに食べられたりしないよう、つよい力を持っている必要があると考えるです」
一方、水銀燈はそのまま黙り込むと、しばし考え込み始めた。
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